
どうもタスです。
人生100年と言われるようになって久しく、社会的にも一億総活躍の実現を目指すというように、人々の人生は徐々に長くなってきています。
人生短いと、あんなことをやっておけば良かったとか後悔が残ることもありますが、逆に人生が長いと、何して良いか分からん。。
なんてなりかねない人も中にはいるでしょう。
そんな人のために、私は「生涯学習」を強く推したいと思います。
人生の長短にかかわらず、「生涯学習」を行うことを身に付けるだけで人生もっと楽しくなれるはず。
少なくとも私はそう信じています。
ということで、今回は「生涯学習」についてお伝えします。
この記事の目次
「生涯学習」ってなに?
生涯学習(lifelong learning)とは、「人が生涯にわたり学び・学習の活動を続けていくこと」とされています。
また、日本においては、
「人々が自己の充実・啓発や生活の向上のために、自発的意思に基づいて行うことを基本とし、必要に応じて自己に適した手段・方法を自ら選んで、生涯を通じて行う学習」
と定義されており、『自発的』に『自己の充実・啓発や生活向上のため』に『生涯を通じて』行うこととされています。
それでは、なぜこの生涯学習が人生をもっと楽しくするためのものなのかを次からお話ししします。
高齢者にこそ習得してほしいもの
病院やスーパーなどのイートインコーナー、公園、寄り合い所など、目的も無さそうに高齢者が集まっている姿を見るのは私だけじゃないと思います。
ワイワイお話ししながら楽しんでいる人もいれば、ボーッと座って時間が過ぎるのを待っている人もいるように見受けられます。
そういう方々の姿を見るといつも「時間が勿体ないな」「何もすることが無いのかな」と若干哀れみすら覚えてしまいます。
その一方では、〇〇教室に通う方々や、スポーツジムに通う、ウォーキングを行う、図書館に通うなど、精力的に余生を過ごしている高齢者の方々も見かけます。
この差は何でしょうか?
私は、これこそ「生涯学習」を身に付けているかの結果だと思っています。
後者は『自発的』に『自己の充実・啓発や生活向上のため』に『生涯を通じて』行えることを身に付けたのに対して、前者は身につけれず、身に付けることすらできなかった(しなかった)ために長寿の恩恵を受けれずにいるように見えるのです。
人生楽しく過ごすためには、自分で自分を楽しませるように行動しなければならないことを考えると、ボーッとしている暇はないように思うのです。
色々チャレンジして楽しいことを見つけなければ、あっという間に人生詰んでしまいます。
「生涯学習」はいつから始めても遅くはない
仕事ばかりの人生が、退職と共に急に空白になり、退職後は何をしてよいのか分からない状態に陥る。
どうしよう…なんて言っている間に、気付いたら歳はどんどん重なり、体はもとより脳すら利かなくなってくる。
このパターンは仕事一筋の方の人生像ですが、例えば、子持ちの専業主婦(主夫)で、子供が巣立った後の人生の生き甲斐が無いとか、色々パターンは考えられてしまいます。
すなわち、「何したらよいか分からない」という空っぽ人生になれる人はとても多種多様だといえるのが現状だと思うんです。
人生を楽しく過ごすためには、空っぽ人生を過ごしてはいけません。
楽しくなければ(やる気も起きないですし)、人間の色々な機能も退化していき、たぶん早死にするはずです。
そうならないためには、「生涯学習」を始めましょう。
気付いたときからで問題ないと思います。
できれば、空っぽ人生になる前に「生涯学習」を習慣づけておいた方が良いですね。
学習といってもいわゆる「勉強」ではない
「生涯学習」の重要性を理解して頂いたところで、さらに「生涯学習」について深堀したいと思います。
まず、学習というと「勉強」というイメージで、それは辛いというイメージになるかと思います。嫌なことでも我慢して取り組む感じですね。
ですが、「生涯学習」はそうではなく、好きなことを突き詰めていくイメージで、重く考えないで好きなことを掘り下げる感覚を持つことが重要だと思います。
何なら、嫌になったら止めちゃって、やることを変えれば良いとさえ思っています。
話題になった多動力そのもので、好きなことを好きなだけ突き詰めることって楽しいですよね。
それこそが、『自発的』に『自己の充実・啓発や生活向上のため』に『生涯を通じて』行えることだと思っています。
楽しければよい。楽しくないことはしなくてよい。
何度も言いますが、「学習」という言葉に縛られてはいけません。
例えば、
- これを学んで何に役立てるのか?
- どのようなスキルを磨きたいがために学習するのか?
- 先ずは学習する分野を決めよう。
- いつまでにこのスキルを習得しよう。
色々考えると学習するのが億劫になりますよね。。。
こんなことを考えず、楽観的に考えてやりたいことをやればいいだけです。
あまり深く考えず、もっと言うと、そんなことはどうだっていい。
自分がやりたいことをやっていくだけ。
要は楽しければよい。楽しくないことはしなくてよい。
学習方法すらをも考える必要はない
学習というと様々な方法があります。
資格取得、セミナー、教室、講座の取得、読書、スポーツ、通信・Web学習。さらには、一人でやるのか、複数人でやることなのか。
これについてもあまり考えなくて良いと思っています。
やりたいことをやりたいようにやればいい。
ただし、どのようにしてやったら楽しいか?を考えることは重要で、そのための手段を考えることは必要だと思います。
やりたいことがまず先で、それを行うにはどのような方法が最も適しているのかを考えるくらいです。
目的と手段を入れ替えてはいけませんね。
知ることの快楽、これに尽きる
人間、「知る」ことはとっても楽しいことだと感じています。
「知る」って、なにも堅苦しい勉強に限ったことではないのです。
例えば、ご飯だって美味しいお店を知っている方が食事の選択肢が広がるし、美味しい料理を知っていれば味覚も充実しますよね。逆に、お店も一店舗しか知らないし、料理だっていつも同じものしか食べないとなれば、人生損した気分になります。
スポーツだって戦略を知ることでより多彩なゲームをすることができるし、多くの選手を知ることで試合観戦もより楽しくなります。
勉強なんて小さい(狭義的なこと)ことを言わずに、生きることは必ず「知識」が必要になるんです。
『学習する』→『習得する』→『知識が身に付く』→『さらに学習する』→『習得する』→『また知識が身に付く』
このスパイラルがとっても重要で、知識を習得すればするほど人生は楽しくなるんです。
知れば知るほど、必ず楽しい世界がありますし、何ならマイノリティになることが重要です。
マジョリティはAIに置き換わるかもしれませんが、マイノリティは置き換わりにくいですからね。
まとめ
今回は「生涯学習」についてお伝えしました。
全ては人生を楽しく生きるための手段なので、人ぞれぞれやることも手法も全く異なると思っています。
人生100年と言われますが、200年生きたような気持になれれば、人生とても充実したと言えるのではないでしょうか。
「生涯学習」は、そんな一つの手段でありながら、最大の恩恵を受けれる概念だと私は思います。