【書評】読書について[他人の頭を借りて自分のアタマを鍛えろ]

【書評】読書について[他人の頭を借りて自分のアタマを鍛えろ]
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どうもタスです。

今から約150~200年前に著された「読書について」。タイトルはシンプルだが、内容はとても濃いものになっている。ショウペンハウエルが思う読書を受け入れるか。もしくは、あなたが思う読書との違いはどのようなものか。読書好きが読んで損することはない一冊だ。

そこで今回は、読書習慣を始めて84冊目の本として『読書について 他二篇(岩波文庫)』を読了したのでお伝えする。

読書について 他二篇 ショウペンハウエル
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著者のご紹介(本書引用)

ショウペンハウエル
アルトゥール・ショーペンハウアー(1788年2月22日 – 1860年9月21日)は、ドイツの哲学者(wikipedia)。一流の文章家であり箴言警句の大家であった(本書表紙)。

 

目次

思索
著作と文体
読書について
訳注
あとがき

 

読書より思索をしろ

【書評】読書について[他人の頭を借りて自分のアタマを鍛えろ]

読書習慣を続ける私には辛辣過ぎる意見である。「読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失ってゆく。」

箴言警句の大家といわれる通り、著者は鋭い意見を簡潔で明確に指摘する。もちろん、その理由を付けることも忘れていない。では、なぜ読書が必要ないのかというと、それは「思索」することこそ最も重要なことだと説いているからである。

何かを追求、研究するためには、自分で考えることが重要である。読書によって、他人の頭を借りているようでは似非(エセ)○○家から脱出できないというのである。

読書で生涯をすごし、さまざまな本から知恵をくみとった人は、旅行案内書をいく冊も読んで、ある土地に精通した人のようなものである。(中略)これと対照的なのが生涯を思索に費やした人で、いわば自分でその土地に旅した人の立場にある。

それを旅行に例えて、上記の話としている。自分の足で歩き、耳目や肌で感じなければ実際に行ったことにはならないではないかというのである。

 

読書は「古書にあたれ」

【書評】読書について[他人の頭を借りて自分のアタマを鍛えろ]

「著作と文体」で痛烈に批判しているように、自国ドイツの著述家、編集者、評論家、一般読者の文章や読み物に対する意識の低下に憤怒している。特に、読書については、新刊もの等、時流に乗るための読書を行っていては意味がないと断言している。

ただ、全ての読書に意味がないとは言っていない。読書こそ「古書にあたれ」と言っている。A・W・シュレーゲルの警句を借りて以下のように示している。

「努めて古人を読むべし。真に古人の名に値する古人を読むべし。今人(こんじん)の古人を語る言葉、さらに意味なし。」

これについては、小飼弾さんも「新書がベスト」「話題の本とは距離を置く」という風に言っている。一過性のブームかどうかは、少し時を置いてから判断しても良いかもしれない。単行本であれば後に文庫本が出るように、淘汰された末に良本の判断がなされるためである。

しかしながら、良本に出会うのは難しい。本を読む時間も一冊分と言えど無駄にはできない。ダメ本には会いたくないものである。可能であれば、常に最高の読書をしていたい。これについても、小飼弾さんが「空気を読むな本を読め」で、クソ本を踏むのも一興と言っている。色々吟味した経験が判断力を鍛えるのであろう。

 

私の考える読書の意義

【書評】読書について[他人の頭を借りて自分のアタマを鍛えろ]

確かに、自分で考える能力はとても重要である。これは繰り返し言うまでも無いことである。しかし、思索するにも知識が無ければできないのではないか。もしかすると、本来思索したかったこと、思索しなければならなかったことすら知識として持ち得ていないのかもしれない。そんな状態で思索が可能なのだろうか。

一方で、本に書かれている知識に対して批判的に読むことで思索は可能である。著者との対話から本に書かれている内容をさらに昇華して受け取れる可能性も否定できない。そう考えると、読書も仕方によっては意味があるのではないだろうか。少なくとも、私は他人の頭を使えるなら使った方が良いと思う。

いくら他人の頭を使ったところで、結局「個性」は出てしまうからだ。「高校生のための文章読本」で個性について言及しているように「いくら似せようが、結局、自分のスタイルに合わなくて形式を選り好み、自分のオリジナル文章が完成する。それが個性に発展し、創造や独創を生む。」からではないかと思う。

私が読書習慣を続ける理由は、小飼弾さんの言う「衝突断面積を広げること」、梅田望夫さんの言う「パーソナル・カミオカンデを用意しよう」であることが大きい。要は、自分のアンテナを自身で磨き、拡張し続けようとしているのである。

アンテナを拡張するためには、私は思索だけでは不可能だと思っている。そもそもそんな能力はないので、他人の頭を借りる必要があるためだというのは先に言った。沢山借りていくうちに、いつの間にか自分の癖が出てきて、自分なりの思索ができるはずだ。

本書には、「言葉の貧困化」というワードが出てきた。ドイツ語の機微を損なう同国人のせいで、言葉の良さがどんどん失われるという嘆きである。私はこれを読んで「日本語が亡びるとき」を思い出した。他人事ではない。正しい文体を発信することも読書をする人の務めでもあるのかなと思った。

読書について 他二篇 ショウペンハウエル
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