【書評】予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」

【書評】予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」
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どうもタスです。

行動経済学は、「心理学+経済学」だと認識していた。が、形式的な学問に留まらない、人間の思考とは何ぞやというところに焦点が当てられている学問ではないかと思わせる。そこで今回は、読書習慣を始めて52冊目の本として「予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」(早川書房)」を読了したのでお伝えする。

人間の不合理さは誰しもが肌身に感じているところではあるが、本書はそれを論理的に実験を経て紹介する。それが私たちにどのように作用するのか、そして、改善策はあるのかまで言及するところに目を向けたい。

 

著者のご紹介

ダン・アリエリー
イスラエル系アメリカ人で心理学と行動経済学の教授。デューク大学で教鞭を執っており、デューク大学先進後知恵研究センター(The Center for Advanced Hindsight)の創設者、BEworksの共同創業者でもある。アリエリーがTEDで行ったプレゼンテーションは780万回以上閲覧されている。
彼はまた『予想通りに不合理』(Predictably Irrational)『不合理だからすべてがうまくいく』(The Upside of Irrationality)の著者であり、これらの2冊は『ずる 嘘とごまかしの行動経済学』(The Honest Truth about Dishonesty)とともにニューヨーク・タイムズにおけるベストセラーになっている。

 

目次

はじめに
1章 相対性の真相
 あらゆるものは–そうであってはならないものまで–相対的なのか
2章 需要と供給の誤謬
 なぜ真珠の値段は–そしてあらゆるものの値段は–定まっていないのか
3章 ゼロコストのコスト
 なぜ何も払わないのに払いすぎになるのか
4章 社会規範のコスト
 なぜ楽しみでやっていたことが、報酬をもらったとたん楽しくなくなるのか
5章 無料のクッキーの力
 無料!はいかにわたしたちの利己心に歯止めをかけるか
6章 性的興奮の影響
 なぜ情熱はわたしたちが思っている以上に熱いのか
7章 先延ばしの問題と自制心
 なぜ自分のしたいことを自分にさせることができないのか
8章 高価な所有意識
 なぜ自分の持っているものを過大評価するのか
9章 扉をあけておく
 なぜ選択の自由のせいで本来の目的からそれてしまうのか
10章 予測の効果
 なぜ心は予測したとおりのものを手に入れるのか
11章 価格の力
 なぜ一セントのアスピリンにできないことが五〇セントのアスピリンならできるのか
12章 不信の輪
 なぜわたしたちはマーケティング担当者の話を信じないのか
13章 わたしたちの品性について その1
 なぜわたしたちは不正直なのか、そして、それについて何ができるか
14章 わたしたちの品性について その2
 なぜ現金を扱うときのほうが正直になるのか
15章 ビールと無料のランチ
 行動経済学とは何か、そして、無料のランチはどこにあるのか
謝辞
共同研究者
訳者あとがき
参考文献
原注

 

行動経済学とは何か

【書評】予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」

著者は「はじめに」で以下のように語っている。

実を言うと、この本は、人間の不合理性、つまり、わたしたちがどれほど完璧とはほど遠いのかについて書いている。どこが理想とちがっているのか認識することは、自分自身をほんとうに理解するための探求に必要だし、実用面でも大いに役立つ可能性があると思う。不合理性を理解することは、毎日の行動と決断に役立ち、わたしたちを取りまく状況や、そこで示される選択肢がどのようにつくられているかを理解するうえでも重要になる。

大前提として、人間は不合理であると言っている。その不合理性は、人生の様々な局面に影響を与える。しかも、その不合理性は予測できるとまで言っている。

もうひとつ、わたしの考えでは、わたしたちは不合理なだけでなく、「予想どおりに不合理」だ。つまり、不合理性はいつも同じように起こり、何度も繰り返される。消費者であれ、実業家であれ、政策立案者であれ、わたしたちがいかに予想どおりに不合理かを知ることは、よりよい決断をしたり、生活を改善したりするための出発点になる。

そう、「予想どおりに」不合理であるというのだ。このことから、行動経済学というのは、経済学のように人間を合理的な生物とみなしておらず、最も人間的に「人間は完璧ではない」ことを前提に人間の行動を究明する学問である。

 

予想どおり不合理であれば予想どおり回避しよう

【書評】予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」

本書を読むと「あるある」や「経験したことがあるような気がする」と非常に自分自身と照らして受け入れやすい。全てのことは難しいことではなく、普段、身の回りに起こっていることだ。ただし、そうとは気付かず放置していることが多い。そこにメスを入れたのが行動経済学なのである。

例として、「4章 社会規範のコスト なぜ楽しみでやっていたことが、報酬をもらったとたん楽しくなくなるのか」の内容は章題そのままをストレートに語っている。

ある男が女の人を誘って食事と映画に行き、デート代を払った。ふたりは二度めのデートをし、このときも男がすべて払った。三度めのデートでも、男は食事や娯楽にかかった費用を出した。男はこの時点で、せめて玄関での情熱的なキスくらいしたいものだと思った。男の財布は危険なほど薄くなっていたが、もっと危険なのは男の頭のなかで起こっていることだった。男は社会規範(交際)と市場規範(セックスにかかる費用)の折りあいをつけるのに苦労しはじめた。四度めのデートのとき、男は何げない調子でこの恋愛にどれだけお金がかかっているか口にした。これでとうとう一線を超えてしまった。逸脱だ。相手は男をけだものと呼び、怒って去っていった。

想像しただけで冷や汗ものではないか。誰でも想像できるであろう。想像できなければ、いつまで経っても童貞の道程を楽しむ他ない。たった一言が場を台無しにする分かり易い一例だ。女性の愛(社会規範)はお金(市場規範)では買えない。一度、市場規範(お金)をチラつかせてしまうと社会規範(愛)は遠ざかり、回復は非常に厳しいものとなる。そこを間違えないことが大事だというのである。

以上を教育の現場へ応用すると次のようになる。

共通試験や能力給によって教育が社会規範から市場規範へ押しやられてしまう可能性が高いように思う。すでにアメリカは、生徒ひとりにつき、どの西洋社会より多くのお金を注ぎこんでいる。ここへきて金額をさらに増やすのは賢明だろうか。試験についても同じような検討が必要だ。すでに頻繁に試験をおこなっているのだから、これ以上増やしても教育の質が向上する見込みは少ない。 わたしは、社会規範の領域に答えがあるのではないかと考えている。これまでの実験から学んだように、現金ではある程度のことしかできない。社会規範こそ長い目で見たときにちがいを生む力だ。教師や親や子どもの関心を試験の点数や給料や競争に向けさせるかわりに、教育の目的や任務や誇りの感覚を吹きこむほうがいいかもしれない。

ごもっともだ。習い事はいくつさせているのか。受講料はいくらなのか。どんな学校に通っているのか。私立なのか。両親は何(職業)をしているのか。お金持ちなのか。本来、そんなことは教育とは全く関係ない。

それよりも、学ぶことでどういったことが得られるのか。何のために学ぶのか。なぜ学ばなければならないのか。子供を含め、子供を囲む大人達はそのことが見えていないとならない。私も同じように、どうもその本質が見えていない大人たちが多いように思う。

○歳になったからそろそろ習い事を。良い職業に就かせてあげたいから良い学校へ。偏差値を高くしなければならない。生徒達の試験の点数を高くしなければ教師としてよい評価を得られない。学ぶ方も教える方も市場規範だけではやる気に直結しないのではないか。

もちろん、科学的要素である実験を各仮説を立てて行っている。その対照実験から見せつけられる人間の心理をここまでかというくらい味わい、自らの不合理さを内省し、同じ過ちを繰り返さないように精神を鍛えるためにも本書は全ての人間に必読であると言わざるを得ない。

経済学は無味乾燥な味気のない概念に感じていたが、ここに人間臭さが加わり、実用化できるような本質を突く学問へと昇華するような気がする。経済物理学と並んで今後の経済学から目が離せない。

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