【書評】仏教は心の科学[反証可能性を十分に認めた仏陀の教え]

【書評】仏教は心の科学[反証可能性を十分に認めた仏陀の教え]
この記事は約6分で読めます。

どうもタスです。

何やら宗教感満載の本を手に取ってしまったけれど、タイトルは何やら不思議なもの。「仏教」はとても日本人にはなじみ深い宗教だけれど、その内実はほとんど知らない。お寺に行って拝む。葬式の際に坊さんに供養してもらう。とはいえ、年に何回機会があるか数えれるくらいしかないのではないかと思います。

そんな身近にいるけれど知らない仏教を学ぶため、今回は読書習慣を始めて75冊目の本として「仏教は心の科学(宝島社)」を読了したのでお伝えします。

 

著者のご紹介

アルボムッレ・スマナサーラ(Alubmulle Sumanasara)
1945年、スリランカ生まれ。13歳で出家得度。国立ケラニア大学で仏教哲学の教鞭をとったのち、80年に国費留学生として来日。駒澤大学博士課程で道元の思想を研究。05年、スリランカ上部仏教シャム派総本山アスギリヤ大寺にて日本大サンガ主任長老に任命される。06年、国内三カ所に戒壇を設立。現在は、日本テーラワーダ仏教協会の長老として伝道と瞑想指導に従事している。

 

目次

はじめに 人が手本とすべき人
第一章 人はなぜ祈るのか
第二章 生きるということ
第三章 死んだらどうなるか
第四章 幸せになる心の法則
第五章 不善の感情と向き合う
第六章 心の大人に至る道
第七章 一切は瞬時に変化する
第八章 すべては因縁で語られる
第九章 生きることが苦ならば

 

仏教は宗教ではない。「教え」である。

【書評】仏教は心の科学[反証可能性を十分に認めた仏陀の教え]

初めて知った。仏教が宗教ではないなんて。こんなに気持ちがスッキリした本は初めてかもしれない。明確であり、筋が通っていて、それゆえ理解し易い。納得がしやすい。本書名は「仏教は心の科学」というように、「心」に焦点を当てた「科学」である。それは仏教に対して反証可能性を認めていることからも明確なのです。

そもそも仏教は宗教ではないことを以下のように説明しています。

「宗教」を英語でいえば religion ですが、これは「信じるもの」で「信仰」です。(中略)仏教は「仏陀の教え」です。お釈迦様が話していたパーリ語でも、だいたい「仏陀の教え」と表現されています。英語でも Buddhism といって、やはり同じ意味です。
つまり仏教は宗教、信仰ではなくて「教え」であって、医学、化学、物理学、美術などと同じように、「こういうふうに実践すると、こうなりますよ」と方法を教えているのです。

「科学」であることがお分かりいただけたでしょうか?信仰ではありません。もちろん原理主義ではありません。信じろ、崇拝しろ、全てを捧げろなどとは決して言いません。「勉強しろ」です。自己研磨して自分という人間性を高めて、精進しろということが仏教であると言います。

しかも、仏教徒になれとも言いません。仏教で学んだ生き方がとても役に立つから、それを広めようとしているに過ぎないということなのです。上部座仏教に対する大乗仏教が日本に伝わり、お寺が沢山建立され、「中道」が日本人の心に根付いているのも、その「教え」があるからなのかもしれません。私は【書評】日本という方法[日本をもっと知りたくないですか?]に出てくる「二項同体」に近しい何かを感じました。

欧米のように「ハッキリしろ」とは単純には言えませんね。優柔不断とは本質的に違いますが。この仏教のとても東洋的な日本的な感性、そして、それを疑似科学とまでは言わないが、信じる心が救われるという責任転嫁とも思わせる宗教的考えを覆す「自己責任論」である仏教には、読めば読むほど驚かされるとともに、その内容とて、とても身近にあることだけれど実現が難しい「言うは易く行うは難し」の教えがほとんどを占めていることも学に入り易い。

 

仏教は反証可能性を十分に認めた心の科学

【書評】仏教は心の科学[反証可能性を十分に認めた仏陀の教え]

「科学」はおもに物質を対象としているのであって、人間の生き方まで言及できていない。それに対して、仏教が「心」に関することを言及すると言っています。「心の科学」という所以はこういうことなのです。しかも、

ですから本来の仏教では、「信じる」とか「信仰」とかいった言葉は使いません。「信じなさい」というのではなくて、「実証してみなさい」「自分で試してみなさい」と言うのです。(中略)私の話も「坊主が言うのだからそのまま信じようと」か「反発すれば罰が当たるのでは」とか、そのようなことはまったくありません。私が言うことにも間違いはいっぱいあるし、その場合はそれなりに理解するなり、反対の意見を言うなり、どちらでもかまいません。誰の意見であっても鵜呑みにするのではなく、体験して、試してみるべきなのです。

考え方として、完全に科学ですよね。そして、私が知っている宗教観念からは完全に逸脱しています。ポパーさんに問うても科学的であると認められるでしょう。生死を繋ぐ輪廻転生、とまで言わず、生を受けている間でも因果応報はあるはず。善い行いをしていれば、必ずとまでは言わずとも良い方向に向かうことは間違いない。そう信じたい。

むしろ、そう生きることで「欲」などの「煩悩」を持つことなく、少しは悟りに近付けるのではないでしょうか。これまたしかし、良い行いをし続けたいけれど、完璧な人間であれと言っていないところもまた魅力的なところ。

著者は「頑張る」をいいように捉えるなとも言っています。徹夜した。時間をかけた。が頑張ったことではないと。上手くやってOKな結果が出ればそれで良いと。頑張る方向性を見誤るなと言っています。なんと合理的。考え方が凝り固まると、やってしまう失敗パターンですよね。頭をクリアに臨機応変でなければならないのです。しかも、それを「怠け」とまで言ってしまうあたりがとても清々しい。頑張ったで片付けることが「怠け癖」だと言っています。とても分かる。。

最後に、資本主義にどっぷり漬かったこんな世の中だから、こういう言葉が響くのだと思います。

仏教が現代を生きる人々に言うのは、「激しく見栄を張って競争するのではなく、智慧を絞って、落ち着いて生活してはいかがですか」ということです。

スポンサーリンク


Pocket


SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*

CAPTCHA


タスlife