![【書評】作曲家の発想術[音楽を愛するスーパー自虐作曲家]](https://tasulife-23.com/wp-content/uploads/2020/07/00-1.jpg)
どうもタスです。
音楽は聴くのは好きだけれど、学んだという記憶はあまりない。しかも、聞く音楽はRockとかHiphopとかなのである。音楽学とは無縁の中で生きてきた私がこういう本を手に取るとは思ってもみなかった。けれど、そういう本こそ面白かったりするのである。
そこで今回は、読書習慣を始めて87冊目の本として『作曲家の発想術(講談社現代新書)』を読了したのでお伝えする。
著者のご紹介(本書引用)
青島 広志(あおしま ひろし)
1955年東京生まれ。東京芸術大学大学院修士課程を首席で修了。オペラ『黄金の国』の成功で一躍脚光を浴びる。作曲から指揮、ピアノ演奏、執筆、放送、教育まで幅広く活躍。東京芸術大学講師。
目次
はじめに
第1章 作曲家への階段 –わたしの場合、あなたの場合
第2章 名曲はこう作られた? –10の異なる曲種への考察
1–オーケストラ曲
2–吹奏楽曲
3–協奏曲・独奏曲
4–室内音楽
5–ピアノ曲
6–歌曲
7–合唱曲
8–オペラ
9–舞曲
10–編曲
第3章 作曲なんてこわくない! –ひとつの旋律からオーケストラ曲まで
おわりに
音楽を愛するスーパー自虐作曲家
本書は以下の記述から始まる。
もっとも、現時点でわが国の作曲家には、三枝成彰という超美男子が存在するのだが、それ以外はみんな、どことなく奇妙な人たちなのだ。年に一回、日本作曲家協議会が自作自演の演奏会を催すが、わが老母が身に来て「どうして作曲家って、みんなあんななの」と息子に感想を漏らしたことがある。顔やスタイルの良し悪しだけではなく、身に着けるもののセンスや立居振舞が、どことなく変なのである。
はじめに自虐?と思ったけれど、終わってみると自虐は一貫していた。こんな本はあまり見たことがない。それだけに何か惹き付けられるものがあった。最後はこんな調子である。
筆者が父を亡くしたとき—それは作曲家としての仕事がやや下り坂になり始めたことだったが、危篤の報せを夜、病院から受けたとき、翌朝までに教育テレビの「ゆかいなコンサート」の編曲を二曲、教科書のための伴奏書きを六曲終えなければならなかった。すべての仕事道具をかき集め、臨終の床を看取ってから、母を自宅に連れ帰り、病院の霊安室で編曲を続けた。
これこそ「ザ・フリーランス」ともいうべきなのかと同情するが、なにせ小見出しは「親が死んでも仕事は休めない」なのである。しかも、亡くなった父には「息子はいいかげんなことをしています」とすまなそうに世間に言っていたというのだから驚きだ。
自分の職業を自虐的に語るどころか、今流行りのブラック職業にすら思えるのだけれど、ここまで自虐っても作曲家という職業を裏表なく包み隠さず伝えたいという著者の意図、というより誠意みたいなものが伝わってきた。
自虐は一貫していると紹介したけれど、本書のほとんどは作曲家について、作曲活動について、作曲するテクニックについてが語られている(当たり前だけど…)。ここまで作曲家はヤバいんだよ!と言いつつ、けれど、こんなに素晴らしいんだよ!すべて見て受け入れたうえで、作曲家を見てよと言わんばかりだ。むしろ、そう言っている。
“でっち上げ”から何を学ぶか第3章
本書の章立ては、目次通りに構成されており、第1章では著者自身の例(生涯)をもとに、作曲家になるための必要条件・環境・試練・コツ・技術などが詳細に語られる。やはり環境が大きいのかと失望してしまうけれど、著者がそうであるように、金さえかければどうにかなる世界ではない。
創意工夫と愉しさがあって上達するのだということが十分に分かる。特に、ゴルフなどに見られるような、英才教育しなければ置いてけぼりみたいな考え方ではないことが救いだなと感じた。とはいえ、家庭の誰かは音楽が好きであること、すなわち家庭環境が重要な条件であることは繰り返し触れられている。とにかくピアノが重要であることも見逃せない。
第2章は、音楽好きにとってはとても興味深いであろう。私はチンプンカンプンではあったものの、まず、これほど曲種があるのだと驚いた。オーケストラと吹奏楽の違いすら分からなかったくらいなのだから仕方ない。各曲種で微細ではない大きな違いを理解した。大きな違いがあるということは、作曲方法も全く異なってくるのだ。バスケットでポジションの違う選手が同じ練習をしても効果がないことにも共通だろう(こんな例えしかなくて申し訳ないけれど)。
第3章は「すぐに稼げる文章術」で評されていたように、捉え方によっては、ある小さな種を大きく育てる手法について語られている。ちなみに、「すぐに稼げる文章術」では以下のように評されていた。
第3章では、2フレーズだけ思い浮かんだ詩をいかに1曲に”でっち上げ”ていくかという手法まで書かれています。
なんと”でっち上げ”なんて揶揄っちゃっている。しかし、「おいおい、言い過ぎだろ。」とも言えないところがまた面白い。最初は、本当にたったの2フレーズなのだ。それが最後にはオーケストラまで大きくなってしまうのだ(オーケストラはさすがに推奨していないけれど)。
著者もご多分に漏れず、本書の主題である作曲をこよなく愛している。それは先に述べたように、自虐の裏返しとして感じる大きな愛だ。YouTubeで検索すれば著者の関連する音楽動画が多数ヒットする。そして、締めの言葉からもその愛を感じた。「大した仕事こそしていないが、気分はいつも作曲家なのである。」
