【書評】死刑[向き合うことで何が生まれるかを感ずる]

【書評】死刑[向き合うことで何が生まれるかを感ずる]
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どうもタスです。

「死刑」は意外と身近である。身近と言っては語弊があるけれど、「お前死刑だからな」と遊び半分のノリで言うことはなくもないことです。しかし、「おろかもの」の正義論でもその本質が捉え切れなかったが、死刑について考えると全く答えが出てこない。廃止の対義語が存置だと初めて知ったように、死刑については身近と感じながらも、そして肯定しながらも、なぜか死刑そのもにについては考えたことが無かった。

考えたことが無かったというより、「人を殺したやつが悪い」という決まり文句で、それ以上は目を背けていたような気がする。その理由はたった一つ。「死刑は自分にとって身近ではないから」であり、私には関係ないと思っていたから。本書は、死刑について、著者が3年間に渡り追及してある答えを出すまでに至ったロードムービーである。

ということで過激に始まった今回は、読書習慣を始めて56冊目の本として「死刑(朝日出版社)」を読了したのでお伝えします。

 

著者のご紹介

森 達也(もり たつや)
1956年、広島県呉市生まれ。映画監督、作家。1998年、自主制作ドキュメンタリー映画『A』を発表。2001年、続編の『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭にて審査員特別賞、市民賞を受賞。

 

目次

プロローグ
第1章 迷宮への入口
第2章 隠される理由
第3章 軋むシステム
第4章 元死刑囚が訴えること
第5章 最期に触れる
第6章 償えない罪
エピローグ
参考文献

 

堂々巡りの極み

【書評】死刑[向き合うことで何が生まれるかを感ずる]

僕は本書を読むまで世論のマジョリティと同様、死刑は存置派で確定でした。死刑になる犯罪者は大抵、重犯罪者です。それも複数の殺人犯が求刑されるイメージです(永山基準ですね)。なので、「それだけ重犯罪をしたのだから死刑を求刑されて当然」と普通に思っていました。むしろ、死刑制度を廃止するものなら、法律的歯止めが利かなくなって、さらに重犯罪が増えるのではないかとも思っていました。本書でいう応報感情を最優先させた意見です。

しかし、本書を読んで分からなくなってしまった。本書の帯に書いてあるように、次々に疑問が出て、物語は自分の整理に追いつかないスピードで先に行ってしまう感覚。

考えれば次々疑問が噴き出てくる。その噴気孔を、頭じゅうに開けられるような本である。 –西川 美和さん(「読売新聞」書評より)

私もまさにこの感覚を覚えた。死刑を考えれば考えるほど答えは遠のいていくような気がする。本書でも出てくるフレーズ「堂々巡り」という感覚は読みながらも一緒に体験できる。明快な答えがない問題とはこういうことをいうのだと簡単に理解できる良問でもあるのです。

 

メディアでは報道されない真実を考える

【書評】死刑[向き合うことで何が生まれるかを感ずる]

人の命を考える機会にもなるし、死刑制度(システム)を考える機会にもなる。冤罪を考える機会にもなるし、実際の死刑囚の肉声から死刑囚を想像することもできる。死刑囚と家族のように接した刑務官の心情を考える機会にもなるし、検察の怠慢に怒りを覚える機会にもなる(アンビリバボーでも検察による冤罪が放送されていたな…)。死刑廃止派の「フォーラム90」のメンバーの意志を考える機会にもなるし、政治家が民意に背いてまで信念を貫いて死刑廃止議員連盟を運営していることを考える機会にもなるし、存置派の「全国犯罪被害者の会(あすの会)」による絶望的とも無念ともいえる被害者感情を考える機会にもなる。

私達はほとんどが被害者遺族の立ち位置に立って死刑を観る。なぜなら私達が日頃触れるメディアでは、その観点からしか死刑を報道しないから。例えば、死刑制度を廃止した国で重犯罪が増加した統計がないことは報道されない。ほとんどの国で死刑を廃止している現実は報道しない。EUは死刑存置国は加盟できない。アメリカでさえ死刑を廃止とする州が増えている。こういった廃止思考になびきそうな報道はほとんどされない。少なくとも私は見たことがない。本書で初めて知ったから。

決して被害者感情を軽視しているわけではない。一方を擁護・支援する情報が過多であるのに驚くとともに、それに浸り過ぎたゆえでの結論が如何に危険かを理解する必要があることを知らせたい。

 

本書を通じて何かが生まれることを願う

【書評】死刑[向き合うことで何が生まれるかを感ずる]

本書は死刑に関わった様々な人にインタビューをしている。そして、その時々の著者の心情の整理を赤裸々に記述している。光市母子殺害事件の犯人にも会っているし、オウム真理教元古参幹部の岡崎一明とも文通している。死刑囚だけではない、元死刑囚にも会っているし、弁護士に元検察官、政治家に元裁判官、教誨師など、一節一節にノンフィクションたる所以の緊張感や臨場感が溢れている。

著者は迷いながら、しかし一歩一歩着実に自身の心のトンネルを出口に向かって歩んでいる。読んでいる私も一緒になって歩いている感覚に陥る。著者の心情の変化やモノの考え方に反芻し共感する、時には反駁するが結局自分も答えが出ていない。だからと言って、何か悶えるというよりかは冷静に考える機会が与えられたというような気がした。だからこそ著者と一緒に歩めたのではないかと思う。

最後まで読んでもやっぱり答えは出ない。存置や廃止を超越した答えが著者にはあり、それがロードムービーの結末にある。この答えが正しいかは著者が言うとおり、十人十色になってしまうのだけれど、この一節は正しいと断言する。

僕は彼らに会った。そしてあなたはこの本を読んだ。だからあなたの中に、何かが生まれることを願っている。

私の中には本書を通じて死刑に対する意識が生まれた。それはまだ根も張っていない、何も確固たる意志は無いけれど、だけれど、初めて死刑に向き合えた気がした。死刑に対する固定概念をクリアにして、本書から何かを感じ取ることをお願いする。

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