【書評】経済学 名著と現代[現代思索のための古典名著]

【書評】経済学 名著と現代[現代思索のための古典名著]
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どうもタスです。

本書は「実践!多読術」で紹介されていた、経済学の入門書である。成毛眞氏によれば「経済学に関しては、実はこれ一冊でいいのではないかとすら思っている。」とのお墨付き。読んでみないわけにはいかないのである。

私でも聞いたことがある著者多数で、内容も至極噛み砕いて解説してくれる。なぜこうも読んでみたい本が次々と増えていくのだろうか。連鎖が止まらない。

そこで今回は、読書習慣を始めて110冊目の本となった『経済学 名著と現代(日本経済新聞社)』を読了したのでお伝えする。

 

著者のご紹介(本書引用)

日本経済新聞社[編]
著者については本書の「まえがき」に以下のとおり書かれています。

本書は、日本経済新聞「経済教室」面に「やさしい経済学–名著と現代」と題して、2007年1月からほぼ7か月間にわたって掲載したシリーズに加筆してまとめたものです。新聞掲載時には東京本社編集局経済解説部の編集委員、道善敏則が担当しました。

 

目次

[Ⅰ 文明論の視点]
 1章 福沢諭吉 『文明論之概略』 –北岡伸一(東京大学教授)
 2章 F・ブローデル 『地中海』 –川勝平太(静岡文化芸術大学学長)
 3章 J・R・ヒックス 『経済史の理論』 –宮本又郎(関西学院大学教授)
 4章 J・K・ガルブレイス 『ゆたかな社会』 –佐和隆光(立命館大学教授)
[Ⅱ 思想の広がり]
 5章 F・ハイエク 『自由の条件』 –竹森俊平(慶応義塾大学教授)
 6章 A・トクヴィル 『アメリカのデモクラシー』 –猪木武徳(国際日本文化研究センター教授)
 7章 M・ウェーバー 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 –岡崎哲二(東京大学教授)
 8章 D・ヒューム 『人生論』 –松井彰彦(東京大学教授)
 9章 T・R・マルサス 『人口論』 –斎藤修(一橋大学教授)
 10章 J・S・ミル 『自由論』 –杉原薫(京都大学教授)
[Ⅲ 経済理論の発展]
 11章 アダム・スミス 『国富論』 –堂目卓生(大阪大学教授)
 12章 A・マーシャル 『経済学原理』 –林敏彦(放送大学教授)
 13章 J・M・ケインズ 『雇用・利子および貨幣の一般理論』 –小野善康(大阪大学教授)
 14章 J・A・シュンペーター 『経済発展の理論』 –今井賢一(一橋大学名誉教授)
 15章 ブキャナン、タロック 『公共選択の理論』 –土居丈朗(慶応義塾大学准教授)
 16章 ゲイリー・ベッカー 『人的資本』 –清家篤(慶応義塾大学教授)
[Ⅳ 経営学への進展]
 17章 ピーター・ドラッカー 『断絶の時代』 –伊藤邦雄(一橋大学教授)
 18章 H・サイモン 『経営行動』 –野中郁次郎(一橋大学教授名誉教授)

 

経済学の名著

【書評】経済学 名著と現代[現代思索のための古典名著]

著者の紹介で書いたとおり、本書は日本経済新聞に掲載された経済学の名著の紹介を集めたものだ。しかも、その紹介者も並みの解説者ではない。その道の専門家達なのである。

福沢諭吉から始まり、ハイエク、ウェーバー、アダム・スミス、ケインズ、シュンペーター、ドラッガーと、著名な経済学論者が勢揃いしており、紹介されている書を一冊丸々読むのは大変だったり、触りだけでも知りたい方に本書はとても適している。むしろ、本書から学べることはとても多いと思う。

その一端について、面白かった箇所を抜粋してお届けしたいと思う。

 

F・ブローデル 『地中海』

【書評】経済学 名著と現代[現代思索のための古典名著]

『地中海』第二部の締めの主題は「戦争」である。ブローデルは戦争を「文明」の枠組みの中で論じる。戦争は野蛮で、文明の対極にあるものではないのか。こうした疑問も浮かぶが、彼は堂々と答える。「平和的な文明は、同じくらい好戦的である」と。

日本も文明が開けて150年ほど経つが、「戦争」は決して手段とはなり得ない。しかし、軍需産業という言葉があるように、一方では文明の支えでもあったのは言うまでもない。

 

F・ハイエク 『自由の条件』

【書評】経済学 名著と現代[現代思索のための古典名著]

「自由」な社会とは「機会の平等」が保証された社会でもある。だが、成果報酬を認めるなら「結果の平等」は達成されない。個人間に違いがあるからこそ、個人に自由を与える必要が生まれ、成功者が模倣されることで「進歩」が生まれるからだ。

こう考えると、なおさら「右や左」で考えれなくなってきているのは確か。

 

A・トクヴィル 『アメリカのデモクラシー』

【書評】経済学 名著と現代[現代思索のための古典名著]

トクヴィルがアメリカを訪問した当時、南部では奴隷制が過酷さを増していたが、北部では奴隷制はすでに廃止されていた。廃止されたのは黒人の利益のためではなく、白人の利益のためであった。
奴隷制は南部ヴァージニア州に始まり、徐々に北部へと広がった。トクヴィルが注目したのは、奴隷の少ない州ほど、人口と富が増大しているという点である。

これはなぜなのか。まさに南部はひな鳥状態だからなのだ。トクヴィルは古代文明と現代文明の経済格差を説明するようなもの。猪木武徳氏は社会主義経済と自由主義経済の差を説明しているようにも読めると結んでいる。

 

D・ヒューム 『人生論』

【書評】経済学 名著と現代[現代思索のための古典名著]

われわれの知識が、「こうすればこうなる」といった因果関係に基礎を置いている以上、この講義は、すべての知識は疑い得る、という懐疑論をもたらす。「明日も今日までと同様である」という予想ですら、「習慣から導かれたものにすぎない」のである。

夜明け前に鶏が鳴くからといって、鶏鳴が原因で夜が明ける、と主張したら、笑いものになる。まさにそう。固定概念への懐疑意識、独善から目覚めることを意識し続けなければならない。

 

J・S・ミル 『自由論』

【書評】経済学 名著と現代[現代思索のための古典名著]

義務教育は決して画一的な知識を教えるためのものではない。ミルにとってそれは、一人でも多くの自由な個人をつくり、意見の多様性を確保するためにこそ必要だったのである。

自由を得るためには教育を。知れば知るほど選択肢が増えることを知らない人は分からない。

 

アダム・スミス 『国富論』

【書評】経済学 名著と現代[現代思索のための古典名著]

 社会秩序は個人の同館を基礎として形成・維持される。市場での競争もまた、他人からの同感を得たいという個人の野心や虚栄心から生じるのであるが、社会が許容する競争は正義にかなった競争だけである。市場とは、本来、世話の交換を行う場だからである。
 個人は正義の原則を守る限り自由に財産を形成してよいし、それによって、社会全体の経済成長が促進される。だが、自然が目指す経済成長の真の目的は、社会の最下層の人々が職を得て平静な生活ができるようになることである。
 個人と個人の間においてと同様、社会と社会の間にも公平な観察者を形成することができる。貿易は本来、この目的のために役立つものである。しかし、貿易が国家戦略の中に組み込まれれば、それは諸国民の間の不和と敵意の源泉になる。
 したがって、経済成長と友好的な国際関係を実現するために、諸規制は廃止されるべきである。しかし、革命は人々の感情を考慮して徐々におこなわなくてはならない。

「国富論」というより「世界富論」とも言うべきか。

 

J・A・シュンペーター 『経済発展の理論』

【書評】経済学 名著と現代[現代思索のための古典名著]

初歩的な新結合は石炭鉱区における石炭の小規模輸送などに使われていた。それをリバプール・マンチェスター鉄道が一般貨物だけではなく旅客をも含めた大規模輸送方式として実現したのは、そのような新たな用途と将来需要を見通し、かつ資金を提供する銀行家に期待収益を説き信用創造を得た起業家の独特の能力による。それこそが結果的に非連続で広範な革新をもたらした創造的破壊の本質なのである。

イノベーションは「新結合」である。新たに結合するのであって、既存の技術から生まれていることが多い。しかし、だからと言って簡単に生み出せるものではない。上記は、鉄道が生まれたイノベーションを見事に解説している。

 

ブキャナン、タロック 『公共選択の理論』

【書評】経済学 名著と現代[現代思索のための古典名著]

政治改革の中で、しばしば意識改革が唱えられる。確かに意識改革も大切だが、公共選択論では、利己的な個人であっても全体の利益の追求と整合的になるような制度を整えることの方を重視する。意識が変わらなくても制度が人々の行動を変えるのである。

制度を法をどう捉えるか。さて、個人の前提を合理的と見て良いものか。行動経済学の観点から考察するとまた面白い気もする。

選挙で選ばれる政治家が、再選を期して多くの政策を投票者に公約し、投票者が反対する政策は公約しないという「政治的企業家」であるならば、政治家は投票者が反対する増税は公約しない。そうなれば、一方では歳出が増加(財政規模が膨張)し、他方では税収が増えない(増税できない)という状況に陥り、結局財政赤字が累増してゆくと指摘した。

我が国に通ずるものが…。

 

ゲイリー・ベッカー 『人的資本』

【書評】経済学 名著と現代[現代思索のための古典名著]

投資の費用と収益を企業と個人が分け合うという『人的資本』の描く枠組みによって、そのときどきの生産水準と賃金が必ずしも一致しないことが経済合理的に説明できる。同じ潜在能力を持つ個人であっても、訓練中かそうでないかで、賃金水準は異なる。雇用期間全体で個人の受け取る賃金総額とその生み出す生産の合計が一致すればよいのだ。
 これを個人の職業人生において、訓練を受けなかった場合の生産能力と、受けた場合の賃金との関係で見ると、訓練を受けている期間中は、それを受けなかった場合の生産能力よりも低い賃金であるが、訓練終了後は、訓練を受けなかった場合よりも高い賃金をもらうことになる。訓練を受けることによって生産能力が高まり、後でより高い賃金を受け取ることができるようになるわけだ。若いときに就職し、企業内訓練を受けながら一人前になっていくとすれば、若いときには相対的に安く、年をとると高くなるという、あの年功賃金カーブの形状がそれである。
 また以上の説明は、人的資本投資を受けた個人が、訓練期間中から訓練後の投資収益回収期間まで、長期にわたり同一企業で働くことを前提にしている。人的資本投資の費用と収益を企業と個人で分け合うには、長期雇用が必要であり、それは具体的には終身雇用制度といわれるような雇用慣行となって現れる。

なぜ若いときに給料が安く、年とともに上がって行くのか。いわゆる年功賃金制に理解を示さなかったのだけれど、これを読んで理解した。ただし、訓練を受け「一人前」だと判断されてのことだから、もちろん割に合わない人もいる。逆に優秀な人であれば、訓練プラスアルファで若いうちから「一人前」と言われてもよい人もいるだろう。

これは終身雇用制度が崩壊した理由の一つではないかと思う。であるとともに、各企業の人事には「能力に見合った判断」ができなければ優秀な人材は集まるところに集まるのだろう。

 

また、公務員の厚遇には首を傾げていたのだが、以下の説明で理解できた。もちろん、公務にも無駄がある限り、全てが当てはまるわけではないけれど、確かに保障を厚くしなければならない人もいる。公務出身による民間への転職が不利であるケースも考えさせられる。しかし、だからこそ、民間でできることは民間に委ねるべきだとも言える。

もともと民間ではできない仕事を公務員が行っているとすれば、その仕事能力は公務部門でのみ役に立つ特殊な種類のものと考えられるからである。
 典型的な例として、国の予算作成といった仕事をするための能力は、民間ではあまり使えそうにない。そうした、高度に公務特殊的な能力を高めるための費用は、国、すなわち国民が負担しなければならない。また、特殊な能力形成を求められるのであるから、個人にとっては長期雇用保障が不可欠であることも前回述べたとおりである。公務員の雇用保障にはその意味で合理性がある。

 

本書に登場する著名人は得てして皆長生きである。人生においてやることが残っているがゆえ、死ぬに死ねないのか、やることがあるから活き活きとして長生きしているのか。または全然違う理由からか。考えることは長生きの秘訣の一つでもあるのか。本書とは関係ないところで色々考えてしまった。

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