【書評】高校生のための批評入門[批評により自己を知る]

【書評】高校生のための批評入門[批評により自己を知る]
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どうもタスです。

批評と聞いて最初に思い浮かべたことは「任意の対象に対して良いことも悪いことも自分の気持ちを表すこと」だった。まさに、ここ最近ずっと書いている記事は書物に対する批評であり、私はそのつもりで書いてきた。

しかし、本書を読むとその答えは微妙に違うように思える。モヤモヤっと形作られていなかった批評というものが、本書を読み進めることで姿形を捉えれるようになった気がする。

そこで今回は、読書習慣を始めて33冊目の本になった「高校生のための批評入門(筑摩書房)」についてお伝えする。

 

「高校生のための」三部作
「高校生のための文章読本」~文章を書く全ての人に読まれるべき本です。
「高校生のための小説案内」~虚構の世界を現実に投影することによりフィクションを楽しもう。

 

著者のご紹介

梅田 卓夫(うめだ たくお)
清水 良典(しみず よしのり)
服部 左右一(はっとり さういち)
松川 由博(まつかわ よしひろ)

 

目次

1.私の流儀
2.境界に立つ
3.拒絶の勇気
4.喩の世界
5.生と死のサイクル
6.作るよろこび
7.思考するまなざし
8.異郷の発見
9.制度の罠
10.<私>とは何ものか
11.明日を問う

 

批評とは何か

【書評】高校生のための批評入門[批評により自己を知る]

本書は以下の言葉で始まる。

批評とは何でしょうか。評論を読んだり、論説文を書いたりすることではありません。もちろん他人の欠点をあげつらうことでもありません。みなさんは、世界にひとりしかいない「私」という人間として、考えています。「私」を、世界の中に考える主体として置くこと――これが批評のはじまりです。

批評の本質を突くような触りが冒頭で語られ強調されている。批評とは評論ではない。私が思っていたような「任意の対象に対して良いことも悪いことも自分の気持ちを表すこと」ではないのだ。そうではなく、「私」を主体として物事を見ること。何かに対して違いや違和感を感じることこそが批評だといっているのだ。

そのため、批評があって初めて論評が書ける。そして、批評を行ったからと言って、アウトプットする物は論評でなくてもよいのだ。論評はあくまで文章形態の一つであり、批評は「世界に対して抱き持つ精神の働き」そのものだからである。

そう考えると、批評は何も文章だけの世界で活きるものではない。勉学、スポーツ、音楽、絵画、自然、食べ物、景観、言動…etc、何をするにも批評精神は自分に宿っていなければならない。違和感を感じ、その心を形に表すことが成長の一歩とも言えるのではないかと思う。「評論家」に個性が強い印象があるのもそうだし、トップアスリートに個性が強い印象があるのもそうだからではないか。

 

違和感と共感

【書評】高校生のための批評入門[批評により自己を知る]

また、文章から批評を学び表現する場合には以下のことが重要だという。

他人の発言や書物の中から自分の心を言い当ててくれている言葉を見つける場合がある。ふつう人が「考え」を造り上げていくのは、そうした”言葉の取り入れ”を重ねたうえでのことである。
違和感が自分の望むあり方を他と区別する精神の働きだとすれば、逆に望ましいあり方を他に見いだし吸収するこの力は「共感」と呼ばれる。

自分の中から違和感を感じるだけでなく、他の批評から自分の感覚をくすぐるものを得ることもまた新たな批評に繋がるというのだ。私たちは常に情報にさらされており、常に違和感を感じることが可能な環境に身を置いている。違和感や共感を得て、自分で消化及び発露することにより新しい創造を行うことが批評精神には重要なのだと感じた。

そういう意味では、私は書評を書いており、「書物の内容を紹介しながら批評をする」ことを心掛けなければならない。私も批評精神を研ぎ澄ますために、もっと多くの批評に出会わなければならないし、常にアンテナを感度の良い状態にしていなければならない。

本書は、51編の文例が採択され掲載されており、批評精神の多様なあり方を示すアンソロジーとして(本書には「高校生のための」と書かれているが、そう限定にするには実に惜しい)読書案内に十分活用してもらえる。とあるが、読書案内に留まらないことだけは言っておきたい。

 

批評精神の大事なこと

【書評】高校生のための批評入門[批評により自己を知る]

本書から学んだ、批評精神を磨いていくための心得として以下の四つを上げる。これはほんの一部であり、そして批評観点も個々で異なることから、是非一読して以下を更新してほしい。

  • 違いにこだわり続けること。
  • 常識を疑い、違和感を感じろ。常識は発想を縛るものだ。
  • 問題には必ず答えがあるものだと思うな。
  • 自己への疑いを思索の過程で経ない批評は貧しい。

上記二つは違和感を感じるアンテナを常に立てておくことと、逆転の発想然り、固定観念然り、先入観然り、自分を縛り付ける常識の類を取っ払った発想を心掛けることである。特に、文例38の「母語と母国語」は筆者の指摘する批評に私自身がまさに当てはまり、むしろほとんど全ての日本人が当てはまったのではないかと思う。広辞苑の「母語」の内容に変化があったこと自体が証左になったと言ってよい。

三つ目については、以下の抜粋そのものだ。常に生産的である必要はない。急がば回れもその一つだ。

答えを出すことが”生産的”であって、従って答えの出せない割りきれない問題は”非生産的”で無益な問いだという感覚が、私たちに知らず知らず染みついてはいないだろうか。
だが本当は人間の精神が疑問を産み出すことじたいが、かけがえのない豊かさなのである。疑いを抱き、検討し、模索するその過程こそが、人間の精神の歩みなのだ。

四つ目は、如何に自分というフィルターを通したかで批評の価値が変わるというものだ。そもそも、思春期の心身の変化に伴う心理状態や身近な人の死で感じる精神状態ように、自分については「灯台下暗し」と言わざる負えない。そのため、むしろ他の批評を経ることで自分を批評できるのではないかとすら思える。そのことを以下の文章は端的に示している。

自己という不透明な器を与えられているのが人に均しく課せられた条件である。だれもがそれを見定める方法を知らず知らず探し、求めている。誰も逃れることはできない。
「私」こそ批評の出発であると同時に、究極の課題なのだ。

 

おわりに

批評は万能で全てのものに通ずるということが非常によく分かった。また、批評精神を失わないことが自己の精神へ常に安定を与え、自分を保たせてくれることを知った。日本人は個性が無いというが、個性がない人間はいない。それは批評が個々で異なることからも一目瞭然だ。

また、先日亡くなったコービー・ブライアントに代表されるように、トップ(トップアスリート)は批評精神が突出していることも看過できない。常に自他ともへ違和感を感じ表現(闘志むき出しで)してきたからこそ、逆に自分が際立ったのだと思う。

私も書評を経て自分を知ることが今一番楽しい。一冊一冊には著者の考えが詰まっており、大変勉強になる。本書を読んで批評の基礎を学び、今後より一層書評が楽しくなりそうだ。

 

類書


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