【書評】日本という方法[日本をもっと知りたくないですか?]

【書評】日本という方法[日本をもっと知りたくないですか?]
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どうもタスです。

「日本人はハッキリしない」だとか、「日本人は曖昧を好む」とか、「欧米人はハッキリしている」だとか、「欧米人は自分の意見を明確に持っている」だとか、兎に角、日本人と外国人の対比を用いて、日本人の欠点を突くことが多いように感じます。特に学校や社会文化の中で明示されているような気がしてなりません。

本書は、なぜそのようになったのか、まさに「日本という方法」を歴史的観点から紐解いています。私も確かに意見をハッキリ持っていた方が良いと思う一人ですが、そればかりが良いとは限らないと悶々としていました。その答えは本書が握っています。日本という国の変遷とその蓄積により作り上げられた日本論があってこそ、そこに活きる日本人論があるのではないかと思うのです。

そこで今回は、読書習慣を始めて58冊目の本として「日本という方法 おもかげ・うつろいの文化(NHK BOOKS)」を読了したのでお伝えします。

 

著者のご紹介

松岡 正剛(まつおか せいごう)
1944年、京都生まれ。早稲田大学出身。東京大学客員教授、帝塚山学院大学教授を経て、編集工学研究所所長、ISIS編集学校校長。情報文化と情報技術をつなぐ研究開発に多数携わる。日本文化研究の第一人者でもある。

 

目次

第1章 日本をどのように見るか
第2章 天皇と万葉仮名と語り部
第3章 和漢が並んでいる
第4章 神仏習合の不思議
第5章 ウツとウツツの世界
第6章 主と客と数寄の文化
第7章 徳川社会と日本モデル
第8章 朱子学・陽明学・日本儒学
第9章 古学と国学の挑戦
第10章 二つのJに挟まれて
第11章 矛盾と葛藤を編集する
第12章 日本の失敗
第13章 失われた面影を求めて

 

日本という方法とは具体的にどういうことか

【書評】日本という方法[日本をもっと知りたくないですか?]

冒頭にも書いたとおり、本書は日本論及び日本人論を「日本という方法」という視点でまとめています。そのことは表紙の以下の文章からも伺えます。

あまたある「日本論」「日本人論」のなかでも日本を「方法の国」として考えるという、大胆な試みはされてきただろうか。何らかの情報を得て受け止める方法のすべてを「編集」であると見て史書の編纂から日記、短歌、連歌などにとどまらず政治・経済のシステムや、書くこと話すこと、生きることそのものまでを編集行為として捉え、長年考察し続けてきた成果をもとに日本を日本ならしめている「日本的編集方法」を探っていく。ことさらに「主題」を求めようとするのではなく歴史に蓄積された「日本という方法」を発見していく注目の書。

本書は上記のとおり、すべてを「編集」と見なして、日本が行ってきた編集を探究し、日本そのものを考察したのです。分かり易い例を本書から抜粋すると、

私たちは三十年ほど前までは、専門店や高級レストランをべつにすると、スパゲッティというと喫茶店でも出てくるナポリタンやミートソースだったのですが(私の体験です)、やがて本格的なパスタ料理を麗々しくフォークとスプーンで食べるようになり、ではそれで収まったかというと、いつのまにかたらこスパゲッティに細切りの海苔をたっぷりかけ、それを箸で食べるようになっていたのです。

日本が海外から吸収したものを日本風に編集して日本のモノにしてしまったという良い例です。私は専らたらこスパゲッティを箸で食べる派であり、スパゲッティが海外から入ってきたころの記憶はなく、しかも、スパゲッティではなくパスタと呼んでいる始末です。よって、編集後のモノしか見ていない訳です。

本書の「あとがき」にもそこが強調されています。

表題を「日本という方法」としました。日本が「方法の国」であってほしいと思っているからです。「日本の方法」ではなく、あくまで「方法の日本」というところが眼目です。

あくまで日本の編集方法の素晴らしさを強調しているところがポイントです。

 

本書は難易度の高い読み物

【書評】日本という方法[日本をもっと知りたくないですか?]

本書は兎に角難しい。全てを理解しようと思ったら到底読めないでしょう。引用原典の多さもさることながら、背景知識の汎濫停蓄さが尋常ではない。一つ一つ理解しようとすると、何冊本を読めばよいのか、何時間インターネットで情報収集しなければならないのかというくらい膨大な知識を集約しての見解が語られています。

しかし、著者が強調して言いたいこと、本書の目的は大体分かるものです。著者自身もそのように書かれているだろうことは理解できます。要は、私のような浅学菲才でも理解できるように要所要所で分かり易いようにまとめられているのです。

なにしろ、話しは万葉時代から昭和初期までを網羅し、その中で「日本という編集方法」を考察しているのです。本書は318ページあるのですが、読んだ感覚的にはその倍以上の700ページくらいあったのではないかというくらいの重厚感でした。

 

日本という編集方法の一部

【書評】日本という方法[日本をもっと知りたくないですか?]

今や明治維新以降の和魂洋才に始まったと思われる、日本の西洋文化の取り入れにより、冒頭に書いたような日本を又は日本人を卑下するような話は枚挙に暇がありません。そして、そのような話は好まれているのか、至る所で目にします。しかし、和魂漢才という四字熟語があるように、その歴史は今に始まったことではありません。

日本語の起源も漢文だし、日本の歴史に大きな影響を与えたのも中国です。そう、中国というモノを取り入れ、編集してきた歴史があるのです。それは今の西洋文化の取り入れとは比べ物にならないほど強烈で、ある意味、それが日本という国を作ったと言えるのではないでしょうか。

そして、それを掘り起こした本居宣長。古事記から拾い上げた古事記伝を著する編集方法は言葉を失うほど、気の遠くなる作業を地道に行った結果(35年もの年月をかけた)であり、まさしくこれが日本という方法の一つだと言っています。その詳細は本書を読んで頂くとして、本書の内容を知らずして日本を語るのは、PCを操作したこともないのにWindowsやMacの素晴らしさを語るくらい中身のないものになるだろうと言えます。

日本という編集を行うために本居宣長が意識した点が上記を物語っています。

宣長も、いったんは漢語や漢字の持つ古層にもどってみようともするのですが、そこでハタと気がついたのです。こういう思考をしている以上は、つまりは借り物の言葉で日本の本来を考えようとしている以上は、この先には踏み込めまいというふうに。その借りものが邪魔な作用となっている。それが「からごころ」だと気がついたのです。
こうして漢意(からごころ)の排除に向かいます。「中国離れ」です。けれどもそれは中国や中国文化を排除しているのではなく、宣長の思考そのものにそのような要素が入らないようにすること、そのこと自体であったのです。

また、西洋との対比を上手くまとめた言葉も登場します。それが「二項同体」です。二項対立の対義語と言えばいいのでしょうか。全ては二項対立で答えられるものではないという理論です。まさに日本的。これについては、一神教と多神教という観点からも、もちろん史学的観点からも追及しています。

日本を考えるということは、歴史上、昔から行われていたことが分かると思います。歴史は繰り返すというのは、歴史を知らないからこそ繰り返されるのであって、既知であれば対処ができるはずです。本書では万葉時代からその歴史を追うことができます。単なる歴史書とは趣旨が違うだけに、新しい発見があるのではないでしょうか。

 

おわりに

どの国もそうですが、私たちが住む日本は今までの歴史の積み重ねがあって今があります。隣の芝生は青く見えるように、今で言えば西洋が青く見えるのは仕方ありません。もちろん、良いところは沢山あると思います。しかし、それが全て日本にマッチするかと言えばそうではないことくらい子供でも分かるでしょう。

それをもう少し深い視点で見るためには本書は最適であり、本書を深く勉強することで日本をもっと知れるかもしれません。後世に残す知識として最適な内容だと私は思います。勉強するには難易度は高いですが、とても面白い分野であることは本書を読めば理解できること間違いなしです。

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