【書評】左翼と右翼[歴史を追うことで理解する政治思想]

【書評】左翼と右翼[歴史を追うことで理解する政治思想]
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どうもタスです。

「右翼とか左翼ってなに?原点はフランス革命で、〇〇で××なんだけど、、、で、左翼と右翼とか左、右って今で言う何なの?」これ、まさに私の疑問である。正直、よく分からない。というより、多義的過ぎて、その本質を掴めきれていなかった。

しかし、本書を読むとその本質を掴めるようになる。しかも、世界史付きで。そこで今回は、読書習慣を始めて109冊目の本となった『右翼と左翼(幻冬舎新書)』を読了したのでお伝えする。

 

著者のご紹介(本書引用)

浅羽 通明(あさば みちあき)
1959年、神奈川県生まれ。「みえない大学本舗」主宰。著述業、法政大学非常勤講師。81年、早稲田大学法学部卒業。著書に『ニセ学生マニュアル』シリーズ三部作(徳間書店)、『天使の王国』『大学で何を学ぶか』(以上、幻冬舎文庫)、『思想家志願』『教養論ノート』(以上、幻冬舎)、『澁澤龍彦の時代』(青弓社)、『野望としての教養』(時事通信社)、『教養としてのロースクール小論文』(早稲田経営出版)、『ナショナリズム』『アナーキズム』(以上、ちくま新書)等がある。

 

目次

プロローグ 本書の読み方
第一章 「右」と「左」とは何か
第二章 フランス革命に始まる
第三章 「自由」か?「平等」か?
第四章 「ナショナル」か?「インターナショナル」か?
第五章 戦前日本の「右」と「左」
第六章 戦後日本の「右」と「左」
第七章 現代日本の「右」と「左」
エピローグ 「右-左」終焉の後に来るもの
参考文献について
あとがき– 鳥なき里で蝙蝠は・・・

 

右翼や左翼は歴史の変遷を追うことで理解する

【書評】左翼と右翼[歴史を追うことで理解する政治思想]

「あとがき」の最後には以下のように書かれている。

あとがきの執筆中、多くの進学校で世界史必修のカリキュラムが空洞化していた事実が、大きく報道されました。世界史を、たとえ高校教科書程度であれ学べば、何がわかるようになるのか。本書は図らずもその解答を提示してはいないでしょうか。さらには、世界史を実は履修しなかった学生諸君にとって、本書が「使える」世界史(日本史も)早わかりにもなっているならば望外の幸せです。

まさにこの通りで、右翼と左翼は世界史及び日本史の変遷を追えば理解できるようになっている。それもそのはず。本書の構成がそうなっているのだから。著者が理解し易いように構成した結果が歴史を知るということだったのである。

本書の第二章は左翼と右翼の始まりである18世紀末のフランス革命から始まり、第四章までが世界史を担当する。第五章から日本史に変わり、第七章の現代まで続く。

なぜ歴史と右翼左翼が関わるのかは、その信念と時代背景によって目指す目的が変遷するからだ。それゆえ、辞書に掲載されている右翼左翼と、現代に使われている右翼左翼は同音異義とさえいえる内容になっている。

 

無知の知 疑問すら明確でなかった

【書評】左翼と右翼[歴史を追うことで理解する政治思想]

著者は、二十年以上、視覚予備校で「憲法」や「政治学」を教えたり、大学で、「日本現代文化論」といった科目の講師をやっていた。その時、学生など若い人から「そもそも、何を基準に『右』とか『左』とかいうんでしょうか?」と素朴でストレートな質問を受けるようになる。

冒頭にも述べたが、私の疑問そのままである。だから本書を手に取ったのだ。同じような疑問を持つ人が多いことにいくらか安心した。

しかし、安心も束の間、一言でその解答を明示することは至難の業のようだ。誰かスパッと気持ち良く回答してくれるだろうか?著者が以下のような疑問を呈している。

(中略)二つの問題が浮上してきたのです。
一つは、「右-左、-左翼ってどう違うんですか」と問いかけてきた若者たちは、何がもっとわからなかったのか。いい換えると、どういう答えを彼らはもっとも期待したのか。
二つめは、今も失われたわけではない、(中略)「右-左」「右翼-」をめぐって、一般的に共有されている理解やイメージが、はたしてどこまで正しいのか。いい換えると、実は私たちは長いあいだ、誤りとまではいえないにしろ、かなり不正確もしくはいくらかゆがんだ理解とイメージで、「右-左」「右翼-左翼」を捉えてきたのではなかったか。

そして、一つ目を考察する上で「右-左」を直線上に表せる尺度かどうかを検討している。

喩えていえばこうです。「赤」と「紫」は普通、まるで違う別々の色だと思われている。しかし、物理学的には、単なる光の波長の長短によるひと続きのグラデーションをなす色の列(スペクトル)上の両端が、人間の眼に「赤」「紫」と映ったものなのです。「右翼」「左翼」も同様にひと続きのスペクトル上の両端だとすれば、グラデーションを成す「波長」の長短にあたる量的尺度は何でしょうか。

実は、私は自分の中で疑問すらも明快になっていなかったのだ。右翼や左翼って何?であれば、辞書で調べれば事足りる。しかし、その解答だけでは昨今の言葉の定義は上手く感じ取れない。というか、馴染まない。であれば、何が知りたいのか。その答えを著者は明示してくれたのである。

本来、二極化するならばその両端は天秤で釣り合っているはずだ。しかし、その両極の意味も釣り合いの仕組みすらも理解できないのが右翼と左翼。右翼といえば街宣車や靖国神社。左翼といえば共産主義や旧ソ連。そんな断片的知識では理解しているとはとてもじゃないけど言えない。その答えを探るのが本書なのだ。

 

右翼と左翼というラベルは過去のものなのか

【書評】左翼と右翼[歴史を追うことで理解する政治思想]

二つめについては、辞書を引いてみることになった。その結果は以下のとおり。

「右、右翼」は、「保守・反動・漸進」を特徴とし、具体的には、「国粋主義」「民族主義」「ファシズム」「超国家主義」「反共主義」などがその例とされる。「左、左翼」は、「革新・進歩・急進(含む過激・革命)」を特徴として、具体的には、「社会主義」「共産主義」「無政府主義」(状況によっては、「自由主義」「民主主義」)などがその例である。

これだけ見ても本当に分からない。なぜなら、この定義はある意味、古いといっても過言ではないと思うからだ。この「右-保守・反動・漸進」「左-革新・進歩・急進」は、今の政党政治では考えられない、当時フランス革命時の体制であった絶対王政下での政治的立場や思想を現しているからである。

ここを原点に、歴史を辿ることによって、なぜ右翼が「国粋主義」なのか、左翼は「社会主義」なのかが分かる(もちろんこれだけではない)。時代々々によって右と左のスペクトルも変わる。赤と紫だけではない。だから、誰もが混乱するのだ。

私は、本書を読んで右も左も図式として使えなくなってきているのではないかと思う。なぜなら思想を絶対的とすることは(中国などの国でない限り)難しいからだ。多元的、多様的な思想がある中で、それを括って呼称することは無意味に感じる。

そして、この括りは時代背景として、現代がとても豊かになってきたがゆえ、どこに革新するのか見えてこない。政治的、経済的にも貧困だったから「革新」という思想が発言したのである。左翼としての目的が見えない結果、その対極にある右翼もぼやけるのは仕方がない。

そういえば、最近、「右翼や左翼」って聞かないかもしれない。むしろ、〇〇主義と具体的な思想が主張されているように思える。しかし、その各主義の発展過程で「右翼と左翼」という二項対立のラベルを付けられることにより理解し易くなったことは否めない。本書を読んで、改めて歴史の大切さを感じた。

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