【書評】国語ゼミ AI時代を生き抜く集中講義[体系的に読む力を学ぶ最良本]

【書評】国語ゼミ AI時代を生き抜く集中講義[体系的に読む力を学ぶ最良本]
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どうもタスです。

「国家の罠」「ぼくらの頭脳の鍛え方 必読の教養書400冊」と読んだけれど、今回読んだ本書は抜群に面白かった。そして、読書をいや、読むということの重要性を改めて感じさせられたと痛感した。本書を読むことで何かを意識するのは武蔵高等学校中学校の生徒ではなく、読者であることは間違いない。

そこで今回は、読書習慣を始めて121冊目の本となった『国語ゼミ AI時代を生き抜く集中講義(NHK出版新書)』を読了したのでお伝えする。

 

著者のご紹介(本書引用)

佐藤 優(さとう まさる)
1960年、東京都生まれ。作家・元外務省主任分析官。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月執行猶予有罪確定。13年6月執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失う。現在は、執筆活動に取り組む。『国家の罠』(新潮社)で毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞。そのほか『国家論』『はじめての宗教論(右巻・左巻)』『私のマルクス』『世界史の極意』『資本主義の極意』『大国の掟』など著書多数。

 

目次

ガイダンス
基礎編 ◆教科書で「読む力」を養う
 1 要約と敷衍 –教科書を正確に読む
 2 比較 –複数の記述を組み合わせて説明する
 3 能動的な読解 –自ら「問い」を立ててみる
応用編 ◆古典を読んで「類推する力」を養う
 1 読書の道は「感化」から
 2 「経済原論」から「資本主義の現在」を考える
 3 「人間機械論」から「AIの現在」を考える
 4 「民族とナショナリズム」から「民族問題」を考える
 5 二冊の小説から「社会の縮図」が見えてくる
実践編 ◆「読む力」から「思考する力」を育てる –武蔵高等学校中学校の特別授業から
 1 アナロジーとは何か
 2 「課題1」の考察と講評
 3 「課題2」の考察と講評
 4 「課題1、2」の解答例
 5 「事実」「認識」「評価」を区別して考える
 6 総合知に対立する博識
引用・参考文献
あとがき

 

学習の基礎を体得するために最も重要なこととは

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本書は、日本の教育指導要領の変化を「アクティブラーニング(いわば主体的に学ぶこと)」と捉え、その条件として『学びの「型」を習得する』ことにあると説く。

では、学習における型とは何か?それが本書のテーマである「国語」の一番の基礎となる『読む力』なのである。そして、読む力を鍛えるためには、芸事や武道などでよく用いられる『守・破・離』がとても重要な進め方であるという。

なお、目次のとおり、本書は基礎編から始まり、応用編、実践編へと学び進める。

基本編では、教科書を通して、以下の要約と敷衍。

要約とは文字どおり、文章のなかの重要な箇所を抽出してまとめることです。後者の「敷衍」は聞きなれない言葉かもしれません。これは、抽象的な概念や文章を自分の言葉で嚙みくだいてわかりやすく説明することと理解してください。

また、

知識を能動的に運用するためには、複数のものごとを比較して、因果関係や影響関係、並行性、変化のプロセスなどを捉えて関連づけ、それを適切にまとめあげる力が必要になります。

ための比較

比較とは、複数の事象をつき合わせて、その異同を考察することです。したがって、相違点だけではなく、共通点を指摘することも比較には含まれます(比較対象の結果、共通点だけしかない場合や、相違点だけしかない場合もありますが)。

そして、上記、三つの事項を結びつけるために能動的に本を読解することが重要になる。

自らの問題意識にもとづいて教科書を読み解いていくアプローチを身につけることが目標

以上で基本編なのだが、内容はレベルが高い。それは後半進めば進むほど高くなるのだが、それだけで読んでいてワクワクしてくる。高級コース料理をワクワクしながら待つ感じに似ている(私は高級コース料理よりラーメン屋の方が…というのはさておいて)。

少なくとも、上記の内容を読むだけで、レポート、企画書、報告書などあらゆる資料を作成するための免疫力は身に付く。収集した情報を要約し、相手に伝えるために敷衍し、それに客観性を持たせるために比較をする。その行動はあるテーマに基づいているだろうから、能動的に情報収集していることは想像つく。

そして、そこには「読む力」が大いに関係する。自分の血肉にするためにはその力が必要不可欠なのだから。

 

読書習慣を身に付けたいならば「感化」を受けよ

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また、第二章で興味深かったのは、『読書の道は「感化」から』である。

これは自分自身が当てはまり過ぎて、ぐうの音も出ない。小飼弾氏の読書ライフから感化され、さらに、読み始めた本の著者に感化され、気付けば本の虫(と言って良いのかな)になっている。私の場合、読むことが目的というよりは、読むことによって得る新しい知識にワクワクすることが楽しい。

まさに本書もワクワクする本の1冊である。知らなかったことを知るというのは、余計知らないことを教えてくれる。深掘りすることもあれば、また違う知識に触れたくもなり、その道はまっすぐ進んでいる訳では無いけれど、結果的に読書が止められなくなっている。中毒症状であると言って良い。

この章の最後の方で、小説から現実を類推して思索するというものがある。『羊と鋼の森』という小説から、努力とは何ぞや?を類推し、思索している。内容は本書を読んでもらうとして、『〈努力をしているとも思わずに努力をしている〉──これこそが理想的な努力のあり方でしょう。』ということが結論として導かれている。

主人公は二人の登場人物に感化されている。感化されたことによってハッと気付いたのだ。感化は得ようとして得られるものではなく、機会が偶然に訪れる「運」に似ている。だからと言って、受け身では訪れる機会は尚更減少するだけで、自ら飛び込んでいくほかない。矛盾しているようにも聞こえるけれど、周知の事実のように思える。

 

武蔵高等学校中学校の生徒の驚異の国語力

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最後の応用編は、冒頭で話した武蔵高等学校中学校の生徒が登場する。実は本書は、佐藤優氏が本校で在校生11名に対して特別講義を行った内容が盛り込まれている。タイトルの講義を受けたのは読者だけではないのである。それにしても、「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」に登場した学生もそうだけれど、とにかく学生のレベルが高すぎて度肝を抜かれる。

佐藤優氏に課題図書を数冊出されて、読了後、ある課題について小論文を作成しましょうという内容である。例として、課題1を以下に引用する。

シャミッソー『影をなくした男』とカレル・チャペック『山椒魚戦争』を読み、それをふまえて、クルド人の民族問題とそこに内包されるナショナリズムの病理はどのような関係にあるかを述べてください。

まず二冊の本を読了することが絶対であるが、付け加えて、「クルド人の民族問題」と「ナショナリズムの病理(さらに言ったら、「ナショナリズム」とは?)」も熟知していなければならない。果たして、二冊だけ読めば解答できる課題なのだろうか?私はそうでないと思う。非常に難しい課題である。

しかし、佐藤優氏が「読解力や文章力に関する知的レベルは、おそらく大学生の大半を凌駕しているといっても言い過ぎではありません。」と評価したように、生徒(当時中学三年生)はとても素晴らしい解答をした(本書は2018年出版のため、まだ学生である!)。是非、皆さんにも拝見して頂きたいので、以下に引用する(段落番号は、本書での解説目的に著者が付した)。

 ①私はナショナリズムとは、他者を排外的に扱う意識のことを指し、決して融和的思想ではない、と考える。なぜなら、ナショナリズムという考えさえなければ、そもそも同族で国家を作ろうとする意識がないと考えるからである。
 ②『影をなくした男』は、影を失ったことで多くの周囲の人々から軽蔑もしくは、排除され続けた。そこに、灰色服の男が再び現れ、影を返却する引き換えに、魂を受け渡せという条件を提示される。もしこれに合意するならば、この「影をなくした男」は「影」を持つことで、周囲の人々と同族になることはできる。しかしながら、本当の自分=魂を失うということで、これから先は一生徳を身につけることはできない。つまり、一つの集団に属す代わりに、一人の人間としての価値を失うことを意味するのではないだろうか。
 ③ところで、影を失い(ならば)他族として排除されるのであれば、この命題の対偶関係として、他族として排除されないのであれば、影を失っていない、すなわち、影を持っているという命題が成立する。つまり、『影をなくした男』における世界では、他民族として排除されないためにも、「影」という「同族の証」を持っていなければならないのだ。では、実際の国際社会における「同族の証」とはどのようなものが挙げられるだろうか。、言語、価値観、文化、など色々思いつく。
 ④ふと思えば、ナショナリズムも元々は「同族の証」を共有することができる人々が集まって成り立つ考えではないだろうか。加えて、ある人と「同族の証」を共有することができず、自分とは違う民族の人間であると判明すると、自分の属する族とは決別して扱い、どうしても排他的になる。宗教対立もこの例だろう。ここにナショナリズムの病理が潜在すると考える。
 ⑤では、今のクルド人民族問題について考えていく。現在のクルド人民族問題は、クルド人らによる国家形成の運動を他国が阻害することで継続化している。例えば、第一次世界大戦後の列強による西アジアの分割と委任統治や、トルコ共和国・イラクの独立によって、クルド人による国家形成よりも先に他民族による国家が建設され、クルド人が複数の他民族の国に分かれて属する形態をとるようになった。
 ⑥クルド人が自分たちの国家建設を望んでいるように『山椒魚戦争』においての山椒魚も自分たちの住む土地を求めた。チャペックは山椒魚を通して、イギリスに支配された中東の人々を描きたかったのではないだろうか。
 ⑦そして、山椒魚は最初にイギリスと戦争状態となった。これは、かつてのイギリスによって行われた多重外交や、第一次世界大戦後の欧米列強による中東の分割に対する、チャペックの批判を描いているのではないかと考える。つまり、列強に勝手に国境を作られ、民族を分断された人々はナショナリズムという理念のもとで統合し、列強に対抗することを意味する。
 ⑧山椒魚とクルド人を重ね合わせてみると、どちらもナショナリズムという名のもとで、自分たちの国家あるいは土地・地域を領有したいという欲望が垣間見える。しかし、逆にクルド人が国家建設を望まない、つまりナショナリズムという考えを持たなければ、このクルド人民族問題は発生していないはずである。
 ⑨かつては、アラビアンナイトに描かれるように、異なる宗教を信仰する人々が共存していた。その後、西欧で誕生した国民国家という概念により、多くの民族は自分らの国を持ち始めた。
 ⑩同じ民族で集まろうとする一見融和的なナショナリズムが他者を排除する差別的な考えへと変わってしまうのだ。従って、「国を持たなくても我々は同じ仲間なのだ」と柔軟に捉えれば、より他者と調和しやすいのではないだろうか。
 ⑪自分たち「だけ」の国家を建設しようとするナショナリズムが存在し続ける限り、あるいは、周辺国(トルコ・イラク・イラン)がクルド人の居住地域を分割して、自治区などとして介入しない限り、クルド人の民族問題は解決されないのではないかと思う。
《参考文献》
・シャミッソー『影をなくした男』池内紀訳、岩波文庫、一九八五年
・カレル・チャペック『山椒魚戦争』栗栖継訳、岩波文庫、一九七八年
・『世界史B』東京書籍、二〇一六年

本書のまとめでは、批評をするためには『事実・認識・評価(批判)』が大事であると説き、最終的には『総合知』をつくることが目標であると説く(「学問論」を参照)。なぜなのか?については、ここまで本書の中身をお伝えしながらも、後は本書に譲る。

その理由は、これだけ伝えておきながらも、多分、内容の半分もお伝えできていないと思うからだ。これからの時代、何が大事なのか。なにゆえに「読む力」が大事になるのか。全ては本書の国語ゼミで楽習「決弾」を参照のこと)することをおススメする。

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