![【読書メモ】本は10冊同時に読め![人生を豊かにする超並列読書術]](https://tasulife-23.com/wp-content/uploads/2021/06/00-8.jpg)
どうもタスです。
今回は久し振りにすべての本読み(これからの本読みも含む)のための読書術本を読んだ。前回読んだ著者の本に比べて、とても過激ではあったが共感できる点は非常に多かった。そういえば、どうやって働き蟻から脱出しようかと考えている自分がいたのは本書に出会う前からである。
そこで今回は、読書習慣を始めて139冊目の本となった『本は10冊同時に読め! 本を読まない人はサルである!(三笠書房)』を読了したのでお伝えする。
著者のご紹介(本書引用)
成毛 眞(なるけ まこと)
1955年、北海道生まれ。中央大学卒業後、自動車部品メーカー、アスキーなどを経て、86年、マイクロソフト株式会社に入社。91年、同社代表取締役社長就任。2000年に退社後、株式会社インスパイアを設立。製造業をはじめとする企業に対し、投資コンサルティング業務を行う。ビジネス界きっての読書家として知られており、多くの新聞・雑誌に書評を寄せている。主な著書に『新世代ビジネス、知っておきたい四賢人版マーケティングの心得』『成毛眞のマーケティング辻説法』『会社のつくり方』などがある。
目次
はじめに――人生に効く「超並列」読書術
第1章 仕事も生活も劇的に変わる! 「速読」かつ「多読」の読書術
●「超並列」読書術とは何か?
●なぜ1日に何冊もの本に目を通すのか?
●本は最後まで読む必要はない
●「クリエイティブ・クラス」になる読書術
●本当のようなウソ――情報への判断力はここで磨く
●すき間時間――だから「速く・深く・多く」読める!
●地頭がいい人、悪い人
●一目置かれる人のものの考え方
●一流の経営者は、みんなすごい量の本を読んでいる
第2章一生を楽しみつくす読書術 人生は、読書でもっともっと面白くなる!
●「生きた証」を残せなければアリと変わらない
●人生は遊ぶためにあり、仕事も道楽のひとつである
●女王アリの読む本、働きアリの読む本
●まずは「成功本」を捨てよ
●本を読まない人間はサルである
●本嫌いの人とつき合う必要はない
●こんな「頭でっかち」なら将来有望
●「使える金」はすべて本に注ぐ!
●〝その他大勢〟から抜け出す生き方
●読書に目的を持つな
第3章 「人生を楽しむ力」と「読書量」 忙しい人ほど本を読んでいる!
●「自分の価値」は読書量で決まる
●真っ先に切り捨てるべき時間
●「合間読み」「ながら読み」の極意
●お金で時間を買う発想
●「行列」と「混雑」は二大ムダ
●「自分のための時間」を人に使われるな
●つねに「何か面白いことないかな」と考える
●時間は増やすより「生かす」こと
●「1日は40時間」と考える
●一見ムダな時間、これが大切
第4章 まずは「同時に3冊」から! 実践!「超並列」読書術
●自分にとってのいい本を選ぶための眼
●1を読んで10を知る本の選び方
●私が参考にしている書評家
●選択する本の幅を広げて、どんと10冊まとめ買い
●いい本を見抜く目を持て
●「かっこいい本棚」をつくろう
●読書メモはとらない
●読書を100%楽しむ法
第5章 「理屈抜きで楽しめる」読書案内 私はこんな本を読んできた!
●私の生き方・考え方を変えた本〈少年~青年時代編〉
●私がもっとも感化された本〈社会人編〉
●若いときは「仮説力を鍛える本」を読もう!
●35歳を超えたら「遊びのノウハウ本」を読もう!
●日経新聞だけは丹念に読む
●人生の糧になる本、ならない本
●「本は捨てない、借りない、貸さない」
●本は、大きな決断のときの判断材料となる
おわりに――本は「人生を楽しむ」知恵の宝庫である!
読書をするかどうかで人生は決まる
本書は「過激」のひと言である。この過激をどう捉えるかは読者次第であるが、私は非常に共感できた。本書のとおり、「はじめに」には著者の一押しが記載されている。それに目を通してから読むかどうかを判断すると良いだろう。
あなたは、自分が「庶民的」だと意識しているだろうか。
今までは、「庶民的」という言葉はどちらかというと、いい意味で使われてきた。一億総中流と呼ばれていた時代は「庶民=中流階級」であり、それが多数派であったからだ。
ところが、これからの「庶民」は意味が違う。日本では経済格差が起こり、高所得階級と低所得階級の二極化が進んで中間層が消滅するといわれているのだ。年収200万円の生活を送る人や生活保護に頼る人はますます増え、今「庶民」でいる人は、何か行動を起こさないかぎり、確実に「庶民」以下の暮らしを強いられることになる。給料格差は4倍ぐらいになり、しかもそれは自分の子どもにも影響していくのである。
それでもかまわない人は、この本を読む必要はない。買うのをやめて吉野家にでも行けば、大盛りの牛丼を1杯食べられるだろう。
この本で紹介するのは、「庶民」から脱するための読書術である。
読書をするかどうかで人生は決まる。本を読まない者はサルも同然だということである。では、良い読書とはどういうことか?それが超並列読書術(同時に10冊読め!)なのである。
読書は人生を豊かにする。それに気付かないのはサルである。
私はパラレル人間ではない。1冊ずつ読んでいる。多くて同時に2冊だろうか。まだ読書家とは呼べないであろう。成毛氏は家の様々な場所に色々なジャンルの本を置いているのである。まずは滞在するであろう場所を判断して、「本を置いてしまう」のである。
なぜ様々なジャンルの本を同時に読むのか。それは、ジャンルを超えることで感受する部分(例えば脳)が多種多様になるからであり、且つ飽きが来ないことも理由の一つに挙げている。本には盛り上がる箇所と盛り上がらない平坦な箇所があり、並列に細切れ化して読むことでその凹凸を分散できるというのだ。
また、細切れに読むことは時間を一括して確保する必要もない。ということは、すき間時間を有効活用した読書も可能なのである。
なにより、本書で言われていることは「人生を楽しむ」ということである。例えば、今では少なくなってきているとはいえ「人生=仕事」と考えている人もいるだろう。それは言語動断だと言っている。「働き蟻のままでいいの?」という挑発的な問いとともに、それを回避するなら読書であると主張しているのである。
これは何も仕事を緩くするということではない。前提として、人生は一度きりなのだから楽しいものにしよう。であり、仕事すらも楽しくしようということである。仕事を楽しくするためには、働き蟻もしくは働きゾンビのような暮らし方では楽しくないでしょう?ということだ。
であれば、仕事をさっさと切り上げて(切り上げれないようであれば環境を変えてでも)読書をしようではないかということなのである。それほど、読書は効果的なのだと言っている。人生を豊かにする。地頭の使いこなし方も変わる。会話のユーモラスも磨ける。創造性が豊かになる。知識が増える。アンテナの感度も増す。自身で判断する能力が増す。能動的行動力が増す。など、数えきれないほどの恩恵を受ける。
そうして得た恩恵を仕事に循環可能なのである。結果的に、仕事を楽しめるようになるし、もし、そうでなくても仕事の効率や生産性は増すだろう。すると仕事を早く片付けることができて、さらに読書に時間を当てれるようになる。その浮いた時間に遊びを入れることもできて、その遊びも読書により深みが出るだろう。旅行一つとっても、旅先の情報を頭に入れておくだけで楽しみ方が変わるということである。
こう考えると、仕事に遊びに全てが読書から影響されると言っても過言ではない。むしろ、人生が読書に関係すると考えられるのではないだろうか?この点は、私も非常に共感した。
読書は読者のフリースタイルで楽しむ
しかし、読書をしたことがない人には「読書は敷居が高いように感じる」ことが多いように思う。著者はとにかく読んでみろというのである。私も「読書=勉強」ではないし、必ず頭に入れなければならないという強迫観念もない。忘れたって一向に構わないし、ルールのない無法地帯だと思っている。要は、読者が楽しめる方法で…というのが基本スタイルだと考えている。
たんなる活字の並びを目でなぞり、そこから遠い異国の情景を思い浮かべたり、目に見えない哲学や理論を構築したりするのだ。想像力が欠如している人間には、到底味わうことができない媒体なのである。(本を読まない人間はサルである)
収納や掃除、ダイエットなど、いわゆる主婦が大好きな情報は「生活情報」といえる。なかには、100円ショップで買ってきた材料でオリジナルの収納グッズをつくり、家中のあきスペースを有効活用していると自慢している主婦もいる。こういう女性が未来を担う子どもを育てているのだと思うと、ぞっとする。
そんなくだらない情報で頭を使っていれば、将来は確実に「庶民」以下の道を歩むことになるだろう。狭い家のどこに収納スペースをつくろうかと考えるより、なぜ狭い家に住まなければならないのかを考えるべきである。(こんな「頭でっかち」なら将来有望)
「目的意識を持って本を読め」というセリフをよく聞くが、いったいどんな目的を持つのだろうかとふしぎになる。
受験勉強や資格をとるために本を読むのならともかく、仕事に役立てるためとか、教養を身につけるためとかいうような浅ましい考えで本を読むかぎり、仕事もできるようにならないし教養も身につかないだろう。
それは、自分で設定した目的に縛られてしまうからだ。(読書に目的を持つな)
面白いデータがある。
1974年、フランスのブルターニュ半島のテレビ塔が過激派によって爆破され、その後1年間にわたり、この地方にあった130万台のテレビが見られなくなってしまったという事件があった。
その1年間、この地方ではどんな変化が起きたのか。
みんなが本を読むようになったので本屋の収入が増え、子どもは外で遊ぶようになったので健康になったそうである。村の人々のコミュニケーションも増え、つながりが親密になったらしい。今の日本で起きている現象と、まったく逆のことが起きたのである。(真っ先に切り捨てるべき時間)
そうした大型書店には、カリスマ店員が何人かいる。ジュンク堂や丸善では、売り場担当者が仕入れから配置、フェア企画まですべて担当し、店長であっても口出ししない方針になっているほどである。各担当者はいい本をそろえるために勉強し、本を手にとりやすい棚づくりも考える。そんな本への愛を感じられるのも、大型書店ならではの楽しみである。(選択する本の幅を広げて、どんと10冊まとめ買い)
本を選び、さっそく「超並列」読書術で読みはじめたはいいものの、あまりに多くの情報がいっぺんに集まりすぎてパンクしてしまった、という人がいる。
そういう人は、たいてい几帳面な人で読書メモなるものをつくり、本のタイトルや感想などをまとめていたりする。「超並列」読書術では一度に複数の本を読むので、それぞれの本についての読書メモがつくれず、どこに何が書いてあったかわからなくなってしまう、というのである。
そんな時間があるぐらいなら本を読め、といいたい。そもそも「超並列」読書術とは、異なるジャンルの本を並行して読むことでベクトルのまったく異なる情報を組み合わせていく読書法なのだから、それぞれの本に分けて感想をまとめてしまったら意味がない。(読書メモはとらない)
親は小中学校を通じて1円もおこづかいをくれなかったが、本だけは別であった。近所の本屋で気に入った本を選べば、ツケ払いで買えたのである。選んだ本は本屋の人が家まで届けてくれて、トイレの下のほうにあった引き戸の中に本を置いていった。それを親が確認して、OKが出た本にはお金を払い、ダメな本は本屋に戻すというシステムだった。(「本は捨てない、借りない、貸さない」)
こういった面白い内容が随所にまとめられている本書は読書家ならずともお買い得であることは言うまでもない。読書も人生もあまり考えすぎると体に悪いことは本書を読めば理解できる。精神的に病んでいる人こそ読書に光を求めるのは一考であろう。