![【読書メモ】里山資本主義[あなたの何%が里山資本主義?]](https://tasulife-23.com/wp-content/uploads/2021/07/00-1.jpg)
どうもタスです。
「お金で全ては買えない」こんな死語(で良いよね…?)がもはや聞こえなくなっている。既にそうだと理解している人が多勢なのが理由なのだろうけれど、それでもマネー資本主義は拡大し続けていく。
そんな中、「幸せはお金で換算はできない」と言わんばかりの『里山資本主義』が勃興している。お金って何だろう?人生って何だろう?自分の欲望って何だろう?そんなことを考えさせられる。少なくとも、本書を読むと「里山」の光にあたりたくなるだろう。
そこで今回は、読書習慣を始めて143冊目の本となった『里山資本主義 –日本経済は「安心の原理」で動く(角川oneテーマ21)』を読了したのでお伝えする。
この記事の目次
著者のご紹介(本書引用)
藻谷 浩介(もたに こうすけ)
1964年、山口県生まれ。株式会社日本総合研究所調査部主席研究員。株式会社日本政策投資銀行特任顧問。88年東京大学法学部卒、同年日本開発銀行(現、日本政策投資銀行)入行。米国コロンビア大学ビジネススクール留学、日本経済研究所出向などを経ながら、2000年頃より地域振興の各分野で精力的に研究・著作・講演を行う。平成合併前の約3200市町村の99.9%、海外59ヶ国を概ね私費で訪問した経験を持つ。その現場での実見に、人口などの各種統計数字、郷土史を照合して、地域特性を多面的かつ詳細に把握している。09年度にはシンガポール出向の機会を得、地域・日本・世界の将来を複眼的に考察した。10年度より地域企画部地域振興グループ参事役。政府関係の公職多数。著書『デフレの正体』(角川oneテーマ21)は50万部のベストセラーとなり、生産年齢人口という言葉を定着させ、社会に人口動態の影響を伝えた。他に『実録!ニッポンの地域力』(日本経済新聞出版社)がある。
NHK広島取材班(日本放送協会広島放送局)
2011年夏、中国山地の異様に元気なおじさんたちの革命的行動に衝撃を受け、藻谷浩介とタッグを組んで「里山資本主義」という言葉を作り、1年半にわたって取材・制作を展開。
井上 恭介(いのうえ きょうすけ):リーマンショック前からモンスター化する世界経済の最前線を取材指揮。「マネー資本主義」の限界を見切った直後、東日本大震災に遭遇。その番組を制作するさなか、転勤で広島へ。里山資本主義に出会う。
夜久 恭裕(やく やすひろ):里山経済のみならず、医療・教育から戦争まで、多くの調査報道で知られる報道番組のエキスパート。里山を掘り進めるうち、オーストリアの”大鉱脈”を掘り当てた。
目次
はじめに 「里山資本主義」のススメ
第一章 世界経済の最先端、中国山地 –原価ゼロ円からの経済再生、地域復活
第二章 二一世紀先進国はオーストリア –ユーロ危機と無縁だった国の秘密
中国総括 「里山資本主義」の極意 –マネーに依存しないサブシステム
第三章 グローバル経済からの奴隷解放 –費用と人手をかけた田舎の商売の成功
第四章 “無縁社会”の克服 –福祉先進国も学ぶ”過疎の町”の知恵
第五章 「マッチョな二〇世紀」から「しなやかな二一世紀」へ –課題先進国を救う里山モデル
最終総括 「里山資本主義」で不安・不満・不信に訣別を –日本の本当の危機・少子化への解決策
おわりに 里山資本主義の爽やかな風が吹き抜ける、二〇六〇年の日本
あとがき
里山資本主義は完全なSDGs
岡山県真庭市の銘建工業で行われている「木質バイオマス発電」や「CLTによる木造建設」、広島県庄原市の「エコストーブ」、森林先進国のオーストリア、周防大島の「瀬戸内ジャムズガーデン」、島根県山間での酪農による「ビンテージ牛乳」、島根県邑南町の「耕すシェフ」、広島県庄原市の福祉施設、レストラン、保育所を取り巻く地域活性化と地域通貨。
これらは本書で取材された里山資本主義を明示する事業や行政なのだが、今まさに盛んに主張しているSDGs(持続可能な開発目標)が国連サミットで採択された2015年より2年遡って、すでに実現されている活動なのである。
マネーに依存しないサブシステムの構築を目標とする
ポイントは、無理をしないこと。である。化石燃料を使えば楽ではあるが地球を汚す。いわば無理をしていることになる。里山資本主義は自然を消費することで活動する。自然は無理をしないことにより持続可能であり、且つ汚すことにはならない。
無理をして、マネーでマネーを生んでいたマネー資本主義への対義語とも言うべき里山資本主義が何たるかというのがよく分かる。ただ、本書は里山資本主義は独り立ちするとは言っていない。それに、すぐに転換することでもないと断言している。
それを顕著に現す熟語が「マネーに依存しないサブシステム」である。あくまでサブシステムであるというのだ。ただし、マネーには依存しない。マネー資本主義に飲まれず、悠々自適に過ごすことを自分に課すことが必要であるというのだ。第一歩として、家庭菜園を行うでも良い。まさに塵ツモである。
里山資本主義の実績はGDPに現れにくい
何より里山資本主義の面白いところは、発想の転換である。先に紹介したどの里山資本主義も簡単に出た活動ではない。銘建工業は厳しい木材産業の中で発想の転換から生まれた活動が事業を引っ張っている。また、営利事業の大半が集中する都会には無い「自然」を「地方」が活用することで「都会には無い強みを活かした活動を行う」ことも魅力になっている。都会に疲れた人が田舎に行く動機付けには充分だろう。
それに、マネー資本主義の専売特許である「利子」を里山資本主義でも活用している点である。オーストリアは、高度で徹底した森林管理によって年々森林面積は増えているという。森林を収支管理し、複利的に増える森林を活用して生活することにより、長期的な成長や利益を担保することができるのである。
更に面白いところは、里山資本主義はGDPに現れにくいという点だろう。経済圏の消費活動が無くなる分、むしろGDPは下がる傾向になる。しかし、生活の質は変わらない。むしろ、向上するかもしれないのである。
自分を里山資本主義でどれくらい満たせるか
上記の点を言葉にしても、「人との繋がり・昔からの伝統・発想の転換・表すことのできない強み・自然の魅力・生きる喜び」など、どれもきな臭くない上に地に足がついた活動である。少なくとも弱者を食い物にして成功しようとし、逆に面食らった挙句に世界的恐慌を引き起こしたリーマンショックと対比することで、人間とは?という問題にまで示唆する内容ではないかと思う。
私も「人生とは何だろう?」「幸せとは何だろう?」としみじみ感じた。それぞれ尺度を持っていることは既知だが、その尺度の基準に里山資本主義を取り入れない手は無いと感じた。しかも、マネー資本主義を考える前にである。マネー資本主義は当たり前になり過ぎて、省きようがない。であれば、そこに足りていない物を里山資本主義から引っ張り出すことくらいはできるだろう。
自分が100%であるとして、里山資本主義で何%満たすかと考えることができれば、自分にとっても日本にとっても善いことなのだろうとつくづく感じた。