【書評】態度が悪くてすみません[面白くなければ「すみません」]

【書評】態度が悪くてすみません[面白くなければ「すみません」]
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どうもタスです。

本書は先ずタイトルがユニークである。なぜなら「すみません」から始まる本を見たことがなかったからである。すみませんと言いつつ、本心はすみませんではないところに本書の面白みがある。ではなぜ「すみません」ではないのか?

本質の部分ではあるだけに、本編でお伝えする。そこで今回は、読書習慣を始めて96冊目の本となった『態度が悪くてすみません –内なる「他者」との出会い(角川oneテーマ21)』を読了したのでお伝えする。

 

著者のご紹介(本書引用)

内田 樹(うちだ たつる)
1950年東京生まれ。神戸女学院大学文学部教授。東京大学文学部仏文科卒。都立大学大学院博士課程(仏文専攻)中退。専門はフランス現代思想、武道論、映画論など。

 

目次

まえがきが長くてすみません
第一章 コミュニケーションの作法
第二章 身体は知っている
第三章 社会システムの盲点
第四章 出会いとご縁
第五章 作品からの「呼び声」
第六章 メメント・モリ
あとがき

面白くなければ「すみません」

【書評】態度が悪くてすみません[面白くなければ「すみません」]

冒頭で、なぜすみませんなのか?でも、本当はすみませんではない。というお話をした。その理由を「まえがき」から引用する。そもそも「まえがき」のタイトルですらすみませんと言っている辺りが挑発振りを加速している感を否めない。

著者は態度が悪いと自ら公言する。しかし、それは態度に表出した悪さではなく、自覚した内なる態度の悪さをいう。

私が「すみません」と言うのは「この話はもうやめましょう」というクールなサインです。それは、その指摘の中に「私についての情報」をふやす手がかりがないという私の判断を意味しています。

そう、著者は知的好奇心をくすぐられない他愛のない話には付き合えないよ。といっているのである。言い換えれば、あなたとはもう話しても面白くないので、「すみません」といって会話を切っているのである。

「知識がある」ことは「よいこと」だと言いますけれど、それは「知識がない」人よりも「知識がある」人の方が「知識がふえる」運動が多様かつ高速で展開するからです。「知識がある」こと自体には何の意味もありません。
それと同じように、私にとって重要なのは、「私についての正しい情報」ではありません。「私についての新しい情報」です。

とても前のめり感を感じるというか、合理性を感じる。そして、著者の信念を感じるのである。まさに「すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する。」ではないか。知を欲するのではなく、知ることを欲するのである。

その人の頭の中にある考えを知るためではありません。
だって、その人がほんとうに批評的に豊かな情報を発信しているとすれば、それはそのことを語りつつある本人もまだ知らないことであるはずだからです。
人の話を聴くというのは、自分が何を言いたいのかをまだ知らない人が口を開くその現場に立ち会うことです。(中略)私たちが自分について知りたいと思うことは他者を経由してしか入手されない。

そうか、だから評したモノは面白いのか。と頷いた。知っていることはつまらなくて、面白いものは知らないのである。知らないからこそ知りたい。知ることを欲するのである。しかし、ここで面白いのは、発信者すら知らないことなのである。

一瞬ハテナではあるのだが、知っていること、決まりきったことを言うのはつまらないのである。つまり、発信者も受信者も務めて面白くしようとしていることが分かる。ただのコミュニケーションであれ、面白くなければ「すみません」なのである。

発信者が求められていることは「モノを考えずに発信する」ことではない。むしろ真逆で、常に考えていることである。その醸成された考えが、まだ見ぬ面白いことへと繋がる。自分自身でも思いもよらない面白いことを言ってしまうのである。

そう考えて、本書を読みながら私は「すみません」と言ってしまうのだろうか?前段からハードルを上げる著者だなと、とても読むのが楽しみになったのである。

 

著者のエッセイ集は「すみません」とはなりません

【書評】態度が悪くてすみません[面白くなければ「すみません」]

結論として、私は「すみません」とは言えなかった。言う隙がないほど、面白い話ばかりだったからである。何事も評するということは、必ず個性が滲み出る。それは評し方も様々であろうが、最も注目してしまうのは「視点」である。

著者の視点はまさに面白いことであった。そして、その視点は「事前に用意した伝えたいこと」ではなかったのである。「あとがき」にはそのことについて触れていた。「…というような話をするつもりが、全然違う話になってしまいました。」ということがザラにあるのである(笑)

そもそも、同じく「あとがき」で分かったのだが、本書はエッセイ集であり、年間50本くらい(週に一本ペースで)原稿依頼が来ているものを大変ながらも結果的にすべて受け、その内容を切り貼りして作成されたというのである。

そのため、個々の項の長さは短長ありながらも全体としては繋がっている。面白いつくりである。なので、敢えて、「あとがき」は初めに読まず、最後に取っておくのが本書の面白い読み方であろう。

そうすることで、「まえがき」と本編、「あとがき」の繋がりがより理解できるのである。

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