【書評】アホの壁[アホ万歳]

【書評】アホの壁[アホ万歳]
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どうもタスです。

筒井康隆氏は読書をしていればいずれ耳にする名前である。そのくらい有名作家であり、いずれ作品を読んでみたいと思っていた人だった。今回、著者の大変面白い(ここで言うのは興味深いではなく、笑える方)本を読んだのだけれど、最後にそう持って行くのかという面白み(こちらは興味深いの方)があった。実に面白かったと思う。

そこで今回は、読書習慣を始めて113冊目の本となった『アホの壁(新潮新書)』を読了したのでお伝えする。

 

著者のご紹介(本書引用)

筒井 康隆(つつい やすたか)
1934年大阪市生まれ。作家、俳優。同志社大学文学部卒。江戸川乱歩に認められ、創作活動に入る。『虚人たち』(泉鏡花文学賞)、『夢の木坂分岐点』(谷崎潤一郎賞)、『ヨッパ谷への降下』(川端康成文学賞)、『朝のガスパール』(日本SF大賞)、『わたしのグランパ』(読売文学賞)など著作多数。

 

目次

序章 なぜこんなアホな本を書いたか
第一章 人はなぜアホなことを言うのか
第二章 人はなぜアホなことをするのか
第三章 人はなぜアホな喧嘩をするのか
第四章 人はなぜアホな計画を立てるか
第五章 人はなぜアホな戦争をするのか
終章 アホの存在理由について

 

「アホの壁」は「バカの壁」のパロディ?

【書評】アホの壁[アホ万歳]

題名からしてツッコミどころ満載な本なのだけれど、決して「バカの壁」のパロディではない。私は間違いないのだろうとタカをくくっていたのだけれど、序章でそれを否定している。

では、なぜこのようなタイトルなのだろうかというのは、以下のようなことかららしい。

小生が考えた「アホの壁」とは、養老さんの「バカの壁」のような人と人との間のコミュニケーションを阻害する壁ではなく、人それぞれの、良識とアホとの間に立ちはだかる壁のことである。文化的であり文明であるはずの現代人が、なぜ簡単に壁を乗り越えてアホの側に行ってしまうのか。人に良識を忘れさせアホの壁を乗り越えさせるものは何か。小生はそれを考えてみようと思ったのだ。

これを見ると目次もすんなり受け入れることができるし、内容も予想することができるのである。

 

「アホ」を自認することから始める

【書評】アホの壁[アホ万歳]

実は内容はほぼ予想どおりなのだが、あるあるネタが延々続くわけではない。そういう人いるな。とか、それ自分にも当てはまるな。とか、読んでいるうちに「文化的であり文明であるはずの現代人」ではないのだろうなと思えて来るのである。

そう、私もアホの側にいるのだなと実感するのである。

無意識にバイアスがかった偏った意見を言うこともあるだろうし、メガネをかけながらメガネを探したこともあるし、我慢の限界であるアホの壁を超えたこともある。読み進めれば進めるほど、俺アホだなって実感するのである。

第四章では「ビジネスで失敗する人の10の法則」を例にあげ、同書は成功しているビジネスに対して啓蒙する本であるのに対して、本書はもっと普遍的な一般的な事柄に対してアホを上げていくというものだ。

とはいえ、「ビジネスで失敗する人の10の法則」も噛み砕くと私たちの生活にも適用する事柄もあり、第四章の五以降はまさにそうでないかと思う。「批判を悪意と受け取るアホ」なんかはとても良い例だと思う。

 

アホ万歳

【書評】アホの壁[アホ万歳]

冒頭にも書いた最後の持って行き方は、第五章について言及したものである。

「人はなぜアホな戦争をするのか」について、アインシュタインがフロイトに宛てた「人間を戦争の悲運から救い出す方法があるのでしょうか」という内容の手紙をもとに検討している。フロイトの結論は、「文化の発達が促進するものはすべて戦争反対の作用をする」ことであり、言い換えれば「世の中の人すべてが文化人になれば、戦争はなくなる」ということである。

何を以って文化人であるか、文化人は戦争しないのか、世の中の人すべてがというのは暴論ではないかなど、疑問は多々出てくるのであるけれど、著者はここにアホを結びつけてくるのである。

「世界中から貧困をなくす困難に比較すれば、世界中の人間に同様の高い教養を与えることによって戦争をなくすことは、おそらくユートピア的希望ではないでありましょう」(フロイト風)

おそらく、これが実現しても蟻の法則から考えると、やはり2割はアホが出てくると思われる。しかし、そのアホも高い教養が与えられているわけだから、そんじょそこらのアホとは違うと予想できる。少なくとも、アホを理解したアホになるのではないだろうか。

アホを理解しながらアホの壁を乗り越える高度技術を持ったアホならば、アホとは言えず、そうすると、著書の主張するアホは限りなく少なくなることになる。2割のアホは高次元のアホになるワケだ。

そもそもこの論調も破綻している気はするけれど、高い教養をすべからく与えれる社会こそ平等なのではないだろうかと思う。そう考えると教育の無償化は、とても有益な投資なのではないだろうか。むしろ、多額のお金で教養を買うことはない。まずは本書を読んで「アホ」を理解することから始めることをおススメしたい。

ここまでアホアホ書くと、アホを自認する自分としても多少辛いものが出てくる。教養を高めて悟りを開きたいななんて思えてくるのである。

しかし、終章ではそんなアホも浮かばれる内容が書かれている。シメは「アホ万歳」なのだから。これで何とか読み終えることができた。

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