【書評】そして殺人者は野に放たれる[法治国家である日本の不条理]

【書評】そして殺人者は野に放たれる[法治国家である日本の不条理]
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どうもタスです。

【書評】死刑[向き合うことで何が生まれるかを感ずる]に続いて書名だけでも重たい雰囲気が伝わってくる本作。ついに日垣さんの本を手に取ることができました。これぞノンフィクション。引用・出典の多さもさることながら、尋常じゃない資料読破力の高さに脱帽しました。それは本書に何気なく書かれている以下の記述からも伝わります。

『かつて「天声人語」すべてを通読したことがあり -p257』天声人語とは、「1904年1月5日付の『大阪朝日新聞』2面に初めて掲載され、以後、別の題名となった時期を挟みながら1世紀以上にわたって継続して掲載されている。」とのことで、これだけでとんでもない取材力があることは理解されたかと思います。

その取材力を以って挑んだ作品が「ある殺人者たち」についてであり、法治国家である日本の不条理について目を背けることなく刮目していただきたい。そこで今回は、読書習慣を始めて62冊目の本として「そして殺人者は野に放たれる(新潮文庫)」を読了したのでお伝えします。

 

著者のご紹介

日垣 隆(ひがき たかし)
1958(昭和33)年、長野県生まれ。東北大学法学部卒業。「『買ってはいけない』はインチキ本だ」(文春文庫『それは違う!』所収)で文藝春秋読者賞、「辛口評論家の正体」(文藝春秋『偽善系Ⅱ』所収)で編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞・作品賞を受賞。メールマガジン「ガッキィファイター」ほか、ラジオ、テレビでも旺盛な活動を続けている。

 

目次

序章 通り魔に子を殺された母の声を
第1章 覚醒剤使用中の殺人ゆえ刑を減軽す
第2章 迷走する「責任能力」認定
第3章 不起訴になった予告殺人
第4章 精神鑑定は思考停止である
第5章 二つの騒音殺人、死刑と不起訴の間
第6章 分裂病と犯罪の不幸な出合い
第7章 日本に異常な犯罪者はいない?
第8章 闇に消える暗殺とハイジャック
第9章 心身耗弱こそ諸悪の根源
第10章 判決に満悦した通り魔たち
第11章 刑法四〇条が削除された理由
第12章 日本は酔っ払い犯罪者天国である
第13章 もう一つの心神喪失規定「準強姦」
第14章 女性教祖「妄想」への断罪
第15章 家族殺しが無罪になる国
第16章 人格障害者という鬼門を剥ぐ
終章 古今東西「乱心」考
あとがき
文庫版あとがき
解説 斎藤 環

 

著者が抱いた疑問と刑法39条

【書評】そして殺人者は野に放たれる[法治国家である日本の不条理]

本書名「そして殺人者は野に放たれる」の「殺人者」とは、ただの殺人者ではない。ここでいう殺人者とは、「刑法39条が適用された殺人者」のことをいう。では、刑法39条とは何かというと以下のとおりになる。

  • 第三十九条 心神喪失者の行為は、罰しない。
  • 2 心神耗弱者の行為は、その刑を軽減する。

では、さらに追って、心神喪失および心神耗弱とは何を示すのかというと、

  • 心神喪失:精神の障害等の事由により事の是非善悪を弁識する能力(事理弁識能力)又はそれに従って行動する能力(行動制御能力)が失われた状態
  • 心神耗弱:精神の障害等の事由により事の是非善悪を弁識する能力(事理弁識能力)又はそれに従って行動する能力(行動制御能力)が著しく減退している状態

となる。要は、本書は「精神の障害等の事由により、罰せられなかった、もしくは軽減された殺人者」が存在することへの不条理に疑問を持った著者が、その疑問に対する答えを10年もの歳月をかけて求めた物語ということになる。それは文庫版あとがきにも明記されている。

不謹慎を承知で言えば私の場合、被害者救済という願いよりも、「精神障害者を除いて犯罪は平常心で行えるはず」という大前提が本質的に間違っているのではないかという仮説が、ずっと念頭にありました。

 

不起訴、無罪、減刑が蔓延る加害者天国日本

【書評】そして殺人者は野に放たれる[法治国家である日本の不条理]

兎に角、この刑法条文が被害者遺族をあまりに蹂躙していること、そして、そこの関わる人達が如何に冷徹で他人事なのということ、延いては加害者がその条文を悪用するところまで及んでいることを読み進めるれば進めるほど嫌というほど痛感する。それは所々に示される凄惨な事件の内容だけではなく、数字にこそ驚愕させられる。その一部を以下に列挙する(漢数字は算用数字に変えています)。

この年(1996年)、日本全体で加害者には総計約46億円の国選弁護報酬と、食糧費+医療費+被服費に300億円も国が支出した。対照的に、被害者には遺族給付金と障害給付金を合計しても5億7000万円しか払われていない。 -p11

その当時最新の統計(『犯罪白書 平成14年版』)によれば、2001年(平成13年)に重大犯罪をおかした覚醒剤・アルコール中毒者のうち心神喪失・心神耗弱とされた不起訴となった者55人、第一審での心神耗弱による刑の軽減が14人である。 -p49

精神障害者は人口比1%程度にすぎないのに、成人刑法犯検挙人員に対する精神障害犯罪者の比率のうち殺人では8.5%、放火では15.7%にも達する -p64

このような殺人事件が毎年平均125件は起きている(最近五年間で検挙された精神障害殺人者は625人)。昨今、世論を賑わす少年による殺人(同じく五年間で517人)より多いのである。日本では精神障害殺人者のうち、およそ85%が不起訴となっている。 -p75

最近一年間では心神喪失的凶悪殺人者115人のうち、実に90人(78.3%)が不起訴、24人(20.9%)が裁判で刑の減軽を受けている。限りなく殺人に近い傷害致死では不起訴が85.7%、刑の減軽が14.3%。強盗では不起訴が65.0%、刑の減軽は35.0%。放火では不起訴が82.1%、刑の減軽が17.9%である(『犯罪白書 平成14年版』)。 -p87

軽く挙げても愕然とする情報がこれでもかというほど記述されている。また、その事件の内容も凄惨極まりない。文庫版あとがきにも書かれているように、愉快な書物ではなく、事件を見る度に気分を害する可能性は高いと言える。私も事件の内容を読みながら心の中では「えぇーー…、ひぇーー…、うわぁーー…」と戦々恐々のオンパレードであった。

 

刑法39条の助長を取り巻く種々の要因

【書評】そして殺人者は野に放たれる[法治国家である日本の不条理]

そもそも、なぜこれほどまでに「不起訴、無罪、減刑」が多発するのかといえば、もちろん法律が悪の権家と化しているのはいうまでもないが、それを取り巻く「検察の保身、政治家の逃げ、精神科医の見解、マスコミの偏重報道など、様々な要因が重なって発生している」といってよい。

例えば検察の場合、

検察官が最も避けなければならない(出世に響く)のは、起訴した被告人が無罪判決を受けることだ。だからこそ地検では、法的根拠のない起訴前鑑定を行って、無罪になりそうな”気配”のある事件は起訴しない。 -p49

適正な対応を行っているとは言えず、保身以外の何物でもない。また、精神科医の「自身に理解できないことは全て精神病にしてしまおう」という行いに見える刑法39条適用機のような数々の精神鑑定結果は、加害者の証言を真に信じ、凄惨な殺人事件をも不起訴及び刑の軽減をたやすくしかも量産している。

著者はそれを「精神鑑定は科学ではなく、感想文である」と表現している。まさしくしっくりくる表現だと思う。なぜなら、何を以って精神異常者なのかそれ自体が理解不能だからだ。そんなおぞましい精神科医の偏見に満ちた学術書の一部を引用する。

精神薄弱者は性欲の発動性にも乏しい場合が少なくないが、異性からも相手にされないために、たまたま人通りのない田舎道などで女性をみると、急に性的興奮にかられて強姦などの犯行におもむきやすい(中田修『犯罪と精神医学』創元社)

このような思考で鑑定なんぞされたら(被害者にとって)これほど恐ろしいことなどない。また、最終章では刑法39条について、日本の古代から特に中世(江戸時代)はどうだったのか?また、各国はどのような法律を定めているのか?日本国は「原因において自由な行為」という「猛牛に赤ん坊が通せんぼする程度の理屈」しか持ち得ていないのだけれど、各国の対応、ましてや中世の律令を目にすることでさらに愕然とするでしょう。

 

治療施設は創設されたが刑法39条二項は残存

【書評】そして殺人者は野に放たれる[法治国家である日本の不条理]

私が読了したのは文庫版であり、「斎藤 環」さんが解説をされています。精神科医ならではの視点で精神障害犯罪者について、さらには法学と医学の背景思想の分析とそのバランス感覚の難しさを語っています。これを最後に読むことでトゲトゲとしたイバラの道も緩和される感覚を受けるが、これに対する日垣さんの答えも是非読んでみたい。

その解説にも書かれていた通り、本書の論題の一つである精神障害犯罪者のための精神刑事治療施設の創設については、2001年の大阪教育大付属池田小学校児童殺傷事件を契機に「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」が整えられたことで、国関係では15機関、都道府県関係では18機関の施設が整備されている(あくまで厚労省)。

しかし、本題となる刑法39条、特に二項は未だにのさばっている。これを削除できない理由は何なのだろうか。百害あって一利なしはこのことを言うのであって棚上げは言語道断の他ない。本書のp163-164にも書かれているように、マスコミは世論が特別興味をそそられない事件と判断すると「ありふれた」事件と評し、次第に報道しなくなる(それは凶悪犯罪でも頻発するとそうなる)。

否が応にも被害者意識というモノを考えさせられたが、それでも自分は完全に第三者でしかない。それは【書評】死刑[向き合うことで何が生まれるかを感ずる]を読んだことで気付かせてくれたことだし、いくら本書を読んでも被害者の真の気持ちを汲むことは不可能だと思う。けれども、だからと言ってそこで終わるわけではなく、事実を知って本質を見ることを止めない行動を続けることは重要だといえる。加害者が刑法39条を悪用したと同じように、私たちも本書を有用することだってできるのだから。

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