【読書メモ】バッタを倒しにアフリカへ[「自分に正直に」を想起する]

【読書メモ】バッタを倒しにアフリカへ[「自分に正直に」を想起する]
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どうもタスです。

最初に表紙を見たとき、正直、拍子抜けした。何だこの著者は…と。新書大賞に受賞されていながらも面白いのか疑問を持った。今のところ、新書大賞を受賞した作品はどれも面白い。まさか、大賞を受賞しておいて…。

読み始めてたいして時間が経過しないうちに、その不安は消し飛んだ。希望、夢、誠実、楽しさ、苦悩、友情、無収入、大自然、、、、、本書に対する表現は、あげればキリがないほどの単語で埋め尽くされる。

騙されたと思って一先ず読んでみるのが良いだろう。そこで今回は、読書習慣を始めて141冊目の本となった『バッタを倒しにアフリカへ(光文社新書)』を読了したのでお伝えする。

 

著者のご紹介(本書引用)

(マエノ ウルド コウタロウ)
昆虫学者(通称:バッタ博士)。1980年秋田県生まれ。国立研究開発法人国際農林水産業研究センター研究員。神戸大学大学院自然科学研究科博士課程修了。博士(農学)。京都大学白眉センター特定助教を経て、現職。アフリカで大発生し、農作物を食い荒らすサバクトビバッタの防除技術の開発に従事。モーリタニアでの研究活動が認められ、現地のミドルネーム「ウルド(○○の子孫の意)」を授かる。著書に、第4回いける本大賞を受賞した『孤独なバッタが群れるとき―サバクトビバッタの相変異と大発生』(東海大学出版部)がある。

 

目次

まえがき
第1章 サハラに青春を賭ける
第2章 アフリカに染まる
第3章 旅立ちを前に
第4章 裏切りの大干ばつ
第5章 聖地でのあがき
第6章 地雷の海を越えて
第7章 彷徨える博士
第8章 「神の罰」に挑む
第9章 我、サハラに死せず
あとがき

 

バッタを倒しにアフリカのモーリタニアへ

【読書メモ】バッタを倒しにアフリカへ[「自分に正直に」を想起する]

本書は、子供のころから昆虫が好きで「ファーブル昆虫記」に魅了された青年が、その中でも大好きであるバッタを研究対象において、バッタの聖地であるアフリカのモーリタニアへ文字通り『バッタを倒しに』行く物語である。

バッタを倒しに…ということなので、倒したかどうかはまだ分らない。著者の研究がどこまで進んだのかもまだ分からないが、多分まだ倒せていないのだろう。

『バッタを倒す』という表現は、何もバッタを研究し尽くすというわけではない。もちろん、著者にとってはその意味もあるのだろうが、本当の目的は、「バッタによる災いを避ける方法の解明」こそがバッタを倒すということである。

 

「バッタに食べられたい」と『神の罰』に挑戦する

【読書メモ】バッタを倒しにアフリカへ[「自分に正直に」を想起する]

バッタによる災いとは、バッタが恐ろしいほど群れ、その大群により農作物などが食べつくされるという被害のことを言う。それにより、アフリカ等では飢饉が発生するほど大問題になっているのである。古代では『神の罰』と言われるなど、被害の甚大振りが予想できるだろう。

その挑戦者である著者は一風変わった性向を持っている。以下に「まえがき」からの引用を掲載する。

 100万人の群衆の中から、この本の著者を簡単に見つけ出す方法がある。まずは、空が真っ黒になるほどのバッタの大群を、人々に向けて飛ばしていただきたい。人々はさぞかし血相を変えて逃げ出すことだろう。その狂乱の中、逃げ惑う人々の反対方向へと一人駆けていく、やけに興奮している全身緑色の男が著者である。
(中略)それでも自主的にバッタの群れに突撃したがるのは、自暴自棄になったからではない。

 子どものころからの夢「バッタに食べられたい」を叶えるためなのだ。

 小学生にころに読んだ科学雑誌の記事で、外国で大発生したバッタを見学していた女性観光客がバッタの大群に巻き込まれ、緑色の服を喰われてしまったことを知った。バッタに恐怖を覚えると同時に、その女性を羨ましく思った。その頃、『ファーブル昆虫記』に感銘を受け、将来は昆虫学者になろうと心に誓っていたため、虫にたかられるのが羨ましくてしかたなかったのだ。

何とも恐ろしく豪快ではないだろうか?私は初見で驚いた。少なくとも、私は血相を変えて逃げる方なので。。。

では、なぜバッタなのか?それは『大竹まこと ゴールデンラジオ!』のラジオ番組にゲスト出演した際に語っていた、変身に関連するというのである。そう、私も子供のころ見ていた仮面ライダーに関係するというのだ。

実は、バッタは「相変異」を成すものらしい。それがイナゴとの違いであるというのだ。その相変異とは、体の色から性格までバッタを変えさせる恐ろしい性質のことを言う。相には二種類があり、一つは孤独相。バッタが単独で存在する際に体の色が植物や土などに溶け込み、緑や茶色に変色する。性格も文字通り落ち着いた佇まいとなる。それに対し、もう一つの群生相という相は、これも文字通り集団でお互いを刺激し合う(群れる)ことでこの相に成り、とても『狂暴』になる。体が黒と黄の斑点模様になり、集団で行動し、農作物などを食い荒らす。「神の罰」のカラクリは以上のことから発生するのである。

 

師匠たちから学んだ「自分に正直に」

【読書メモ】バッタを倒しにアフリカへ[「自分に正直に」を想起する]

本書は著者の研究体験が主な題材ではない。『著者の人生』そのものが題材である。研究は副題と言っても過言ではない。それこそが本書の魅力そのものなのである。

本書を読んで、ある違和感を感じた。「どこかで感じたこの心地良さ。なんだろう?」それは『「社会を変える」を仕事にする –社会起業家という生き方』の本(そして、著者)の感性に非常に似たものがあったのである。

もちろん、本書は昆虫学者が研究する様であり、一方は社会起業家が働く家庭のサポート事業を展開する。全く異なる両者だが、共通する点がハッキリ存在する。『青春』である。こんな単語をハッキリ言うこと自体、多少の辱めはあるものの、私にはそう感じられた。

大人にはない(もちろん、お二人とも立派な大人です)経験値から想起するブレーキの排除、ガムシャラさ、全力投球であること、誠意であり真摯であること、純粋さ、気持ち的内面の表現力、意図しないことが起こる力、等々、自らの夢や希望に必死に向かっていく姿は両者にピントが合う。

そして、なにより『人間的にオチャメである』ことは、必至一筋なゆえに本を筋骨隆々とさせることをカモフラージュさせ、笑いあり、感動あり、涙あり、、、というパッケージを提供してくれる。著者が母校(秋田中央高等学校)で行った凱旋講演がそれを表現していると思う。

なにより、私も背中を後押しされた気がする。一言で言うのは難しいのだが、「自分に正直に」を思い出させてくれた。普段の生活は色々なことが絡み合って、こんな根源的なことを忘れがちである。弟子は師匠に手取り足取り教えてもらうわけではない。師匠の生き方そのものからヒントを得て、それを学びとする。また本から学び得れたことをとても幸せに感じる。

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