![【読書メモ】勉強の価値[生きる人間の価値を高めるもの]](https://tasulife-23.com/wp-content/uploads/2021/11/00-2.jpg)
どうもタスです。
本書は私がフォローしている本ノ猪さんのツイートを見て購入したものである。以下のツイートを見てほしい。完全に同意する。自分がやってもいないことを子供にやれと言うのは虫が良すぎるし、自分が子供でも納得しないだろう。
「自分が嫌いだったものを、子供には好きになってほしい、というのも、虫が良すぎる。自分ができなかったことを子供には実現してもらいたい、と考えるような親の言うことを聞く子供はいない。たとえいたとしても、大した大人にならない子供である。」(森博嗣『勉強の価値』幻冬舎新書、P90) pic.twitter.com/DzDz2H2wm1
— 本ノ猪 (@honnoinosisi555) October 13, 2021
そこで今回は、読書習慣を始めて157冊目の本となった『勉強の価値(幻冬舎新書)』を読了したのでお伝えする。
著者のご紹介(本書引用)
森 博嗣(もり ひろし)
一九五七年、愛知県生まれ。作家、工学博士。国立N大学工学部建築学科で研究する傍ら九六年に『すべてがFになる』で第一回メフィスト賞を受賞し、作家デビュー。以後、次々と作品を発表、人気作家として不動の地位を築く。おもな新書判エッセィに『自由をつくる 自在に生きる』『創るセンス 工作の思考』『小説家という職業』『自分探しと楽しさについて』(すべて集英社新書)、『大学の話をしましょうか』『ミニチュア庭園鉄道』(ともに中公新書ラクレ)、『科学的とはどういう意味か』『孤独の価値』『作家の収支』『ジャイロモノレール』『悲観する力』(すべて幻冬舎新書)などがある。
目次
勉強の本質とは何か
本書で扱うのはタイトルのとおり「勉強」である。定義は以下のとおりである。
勉強というのは、その行為に目的があるのではない、という点が重要なのだ。なにか、ほかに目的がある。そして、そのための過程が「勉強」と呼ばれているだけである。したがって、その過程を楽しめるかどうか、という問題は、本来の目的が見えていないわけで、そもそも問題でもない。どうでも良いことだと言っても過言ではない。
お分かりだろうか?目的が手段になっているというのはまさにこのことだろう。自分が「勉強しなければ」と思うのは、どういった目的の為なのか?勉強するのが目的であれば、それは本書の定義から外れるので、勉強とはどういったことなのか学び直すことが肝要だろう。
勉強とはあくまで手段である
更に分かりやすく解説してくれているので以下を見てほしい。
たとえば、金槌で釘を打つこと、これが「勉強」というものの本質である。もし、金槌で釘を打つことが楽しいという人がいれば、それはそれで幸せである。一生その趣味を続けて、釘を打ち続ければよろしい。しかし、普通は、釘を打つ目的がほかにある。その目的が、釘を打つ行為を始めるよりもさきにある場合は、釘を打つことが楽しく感じられるだろう。自分が作りたいものがどんどん出来上がっていくし、また、釘の打ち方もしだいに上達するはずである。これもまた、楽しい体験となる。だが、その楽しさは、「作りたいもの」へ近づくプロセスが生み出している。
目的は机を作ったり、扉を修繕したりとDIYを行うことでも何でも良い。その過程に釘打ちがある。よって、勉強は手段であることはお分かりいただけるだろう。
回答することと質問すること
面白い箇所は沢山あるのだが、一つ挙げるとすると、著者が大学で講義をする際に、期末試験を行わなかったそうだ。その代わりに課したのが「質問させる」ことである。全員の質問をワープロで打って、それぞれへの回答と併せてプリントし配布した。そうすることで、全員に知られ、他者を意識してか、質問内容を多くの学生が真剣に考えるようになったそうだ。
最終的には、試験をやめて、僕はこの質問で成績をつけることにした。これは重要なポイントである。すなわち、どう答えるのかではなく、何を問うかで、その人間の理解度を測ることができると気づいたからだ。
良い質問をするためには、講義の内容を理解し、それまでの知識が頭の中で整理されている必要がある。毎回の質問、つまり十問くらいの質問の内容で、的確にその学生の理解度を評価することができた。
これは本当に良い対応だと思う。引用分のとおり、暗記ではない、個々人による濃淡の利いた回答が提出される。どれだけ知り、そして、自分なりに理解し、それに対してどう思ったのか。一連の結果が質問という形式で吐き出されるのである。
本書にも書いてあるが、著者の知り合いが大手企業の人事部にいたとき、学生の面接でどこを見ていたか、という質問の回答が「逆質問」であったのだ。これの理由も同一のものだろう。
勉強することで分かること
これ以外にも面白いことは沢山あるのだが、最後に、本書の最後の言葉を紹介する。
勉強をするほど、人は謙虚になる。何故なら、世界の英知に近づき、人類の慧眼に接することで、自身の小ささを知ることになるからだ。
それだけでも、勉強をする価値がある。
そして、自身を見つめることの楽しさが、少し遅れて、必ず訪れるだろう。
勉強は、生きる方法を学ぶことではなく、生きる人間の価値を高めるものである。
私はたくさん勉強してきたわけではない。けれど、この言葉の意味は理解しているつもりである。勉強していない人ほど、考えず発信することが多い。考える癖がないのだから仕方ないのだろう。
上を見えても仕方がないという人がいる。私はその逆であると思う。下を見ても仕方がない。生を受けているのだから、せめて、様々なことを知ろう。そうすることで、余裕ができ、引用文のように謙虚になれる。自分の小ささを知ることと「無知の知」は通ずることがある。
ここまで持ち上げておきながら、私は本書に一つだけ指摘したい。やはり、私は「勉強」という単語が好きではない。勉学を強いているように思えるからである。まさに「勉強しなさい!」である。
どちらかというと、「学習」いや「楽習」と言いたい。これは小飼弾氏の「決弾 最適解を見つける思考の技術」から引用したものである。是非、本書と一緒にこちらもおススメする。